2023年10月28日 民数記第9章
- hccnichigo
- 2023年10月28日
- 読了時間: 3分
『主の命により』
この時代背景はエジプトを出て二年目、シナイの荒野である。エジプトからカナンの地まで約300キロ(約186マイル)を40年ほどかけて移動中。二年目だったら、下記地図❷のサコスまで辿り着いているだろうかなどと思い巡らしながら読む。
モーセを通して神様が語られる。祭司とイスラエルの民が、いつどのように行動すれば良いのか主への務めが書かれている。
九章で気になってしまった言葉がある。6節、7節、10節に出てくる「死体によって身を汚す」ということである。私が人の遺体に最初に触れたのは自分を育ててくれた祖父である。
中学生で、わたしは学校に行かされ、大好きだった祖父の最期には会えなかった。着物に包まれて遺体で病院から戻ってきた祖父の肩に手を当てて、冷たいのにハッとして手を一度離した。死ぬというのはそういうことかと一瞬思った。次は天召した主人だった。義母は「遺体は無で会う必要性がない」と言って、灰になる前にもう一度会いたいという私を阻止しようとした。私をキリストに導いてくれた親友に電話して相談した。
「ご遺体は彼の内に聖霊様と魂がずっと入っておられた大切なものです。あなたが会いたければ今行きなさい」と言ってくれました。この言葉に励まされ会うことができた。15分遅れていたら病院から出ていたところだった。愛する者たちの死体は「汚れている」とは全く感じなかった。逆に私は愛おしかった。でも昔のイスラエルは違った。疫病などで何万人もが死んだ。そのことを九章で語っている。
さて、「死体によって汚れている」とはどういうことかと思い読み進めると、十九章11節「死人に触れる者は、それがどの人のものであれ、七日間汚れる。」と書いてある。汚れを除くには、赤い雌牛の灰によってきよめの水を作り、それを汚れた人に注ぎかけるのである。三日目と七日目に振りかけ、七日目にその人の汚れを除くことになる。きちんときよめられる方法も聖書で教えている。
現代のわたし達はなんと恵まれていることか。全く汚れのないイエス様がいけにえとなって下さり、十字架で血を流し私たちの罪を赦し、聖霊様を下しきよめてくださったのだから。動物の捧げ物としなくてもいいのだ。
九章でたくさん出てくる言葉の中に、「主の命により」と続く箇所が多い。18節、20節、23節「彼らは主の命により宿営し、主の命により旅たった。彼らはモーセを通して示された主の命により、主への務めを守った。」
昔も現代も生きる私たちへ主の命は次である。
マタイ22:37-38「イエスは彼に言われた。『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』これが、重要な第一の戒めです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です。」
祈り:
愛する天の父なる神様、恵みの時代に私たちを生かして下さり感謝です。私たちは御子イエスの血により贖われ、きよめていだだきました。どうかお一人お一人が主の命に従順でありますように。
「今行きなさい」と言ってくれた親友に感謝します。わたしにはあなたの命のように聞こえました。あなたの命を守れるものでありますように、日々お導き下さい。尊いイエス・キリストの御名により祈ります。アーメン

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