『8,580人のレビ人たち』 アイゾン直子
主は、ケハテ、ゲルション、メラリという3つのレビ氏族のうちの30歳から50歳までの男子に対して、聖なる幕屋の管理と運搬を任されます。このうち、ケハテ族が一番聖なるものを担当しますが、それはたぶん、祭司アロンがケハテの子孫だったからではと言われています(Kingscomment参照)。30歳から50歳というと男として最も活力がある時期ではないかと思います。つまり主は、最良の時期を献げるよう命じたのです。このことは悔い改めに導かれました。時間があるときに聖書を読んだり、祈ったりしていました。これからは、聖霊の導きによって最良の時間を主に献げたいと思います。
さて、主が各氏族に与えた任務についてですが、ゲルション民族には幕屋に使用する幕や垂れ幕、覆いの布と紐などの管理と運搬が任され、メラリには幕屋を支える板、横木、柱、台座、釘などの管理と運搬が、そしてケハテ族には、聖なる器具の管理と運搬が任されます。ただし聖なる器具に関しては幕屋内に入ることになるので細心の注意が払われます。なぜなら、祭司ではない者がそれらは見ても触れても死んでしまうからです。そこで主は、彼らが聖所に入る前に、祭司であるアロンとその子らに一切の器具を布で覆うよう命じます。以上、これら幕屋に関するすべての責任はアロンの子であるエルアザルに一任され、ゲルション族とメラリ族の任務についてはアロンの息子イタマルが指揮を執るよう命じられました。
幕屋に関する器具や備品などの扱いについての指示が非常に丁寧なのは、それら一つ一つが後に来られるキリストを指し示すからだと言います。聖所内は天の写しであり、布や皮で覆われた器具類はキリストについて隠された、という意味があるそうです(牧師の書斎参照)。キリストが地上に来られたことでこの覆いは取り除かれましたが、私たちの心に覆いが掛かっているので、それら器具の一つ一つの意味を知るためには聖霊の助けが必要となります。主イエスは、求めるなら、それらを見ることができると約束しておられます(ルカ11:9‐10)。
レビ人はこれ以降、主イエスの時代まで祭司の民として生活をして行きます。彼らは主から直接、主のものである、という宣言を受けた民です(民3:12)。しかしレビという人は昔、妹のディナがシェケムの町で辱めを受けたことに怒り、兄弟シメオンと一緒になって割礼を受けて動けなくなっているすべての男たちを殺した人です(創34)。このことのゆえに彼らは土地を相続することなく、常に他の氏族の土地に寄留するようになります(創49:7)。しかしそのような罪深い者からモーセがが生れました。兄のアロンは偶像礼拝という罪を犯しますが(出32:1‐6)モーセのとりなしの祈りによって赦され、約束の地を前に主は、彼と彼の子らを祭司として任命します(出40:12‐13)。以降、祭司はアロンの家系から、幕屋の奉仕はレビ人という律法が定められました(民3:6‐10)。
レビ人の一連の出来事を振り返るとき、神のあわれみと恵みを感じずにはいられません。罪深い先祖を持つレビ人が、モーセのとりなしの祈りのゆえに赦され、約束の地を前に、主に最も近いところで奉仕をするという務めに与ったように、罪深い自分もまた、主イエスによる十字架のゆえに、また日々の主イエスによるとりなしの祈りによって、約束の地である御国を前に、主に最も近いところで奉仕をしていることを思うと喜びがあふれてきます。主に最も近いところで奉仕をすることで、私はすでに御国を体験しているのだと考えると「いつも喜んでいなさい」(1テサ5:16)のみことばが、さらに深い意味を持って心に刻まれる思いです。
民数記はその名の通り、民の数が記録されている書です。エジプトから出て来た彼らに待っているのは約束の地での戦いです。主はまず戦える男の数を数えるよう命じました(民1:45)。そして今回は幕屋に仕えるレビ人の男子の数が数えられています。その人数は全部では8,580人、イスラエルの民全体の割合で見ると0.4%ほどです。これは多いのか少ないのか、判断にとまどいますが、神ご自身は数えなくてもすでにご存じであったことを覚え、モーセたちに敢えて数えさせたところから、私なりに意味を見つけたいと思います。
私たちの必要は常に満たされています。それが多いとか少ないとかの判断はこの世の価値観ではないでしょうか。各教会に与えられている人数の中で如何に主に仕えていくのかが、民数記の人口調査より学ぶべきことであるとするなら、1%と言われる日本のクリスチャン人口は少ないのでしょうか。会員が100人以上いる教会で奉仕者を常に募っている場合があれば、会員が10人に満たない教会で奉仕者が満たされている場合があります。なぜそのようなことが起きるのでしょうか。クリスチャン人口の増加を望まないわけではありません。しかし民数記を学ぶ限り、人数の多さは目的ではないと思うのです。私たちの必要はすでに満たされています。ただ働き手が少ないのです。永遠のいのちを持つ者一人ひとりが、それぞれの教会の奉仕に携わることに積極的であるなら、主はさらにその教会を祝福し、結果クリスチャン人口の増加となると考えるのは、安易でしょうか。
主の奉仕のために集められたレビ人の数は8,580人でした。全イスラエルの人口から見れば0.4%です。このことを知って少ないと感じるのは人間です。神にとっては、幕屋を整えるのに十分な数であったことを覚えたいと思います。
最後に、日本のクリスチャン人口増加も大切ですが、今や日本は少子化が進んでいて、個人的には日本人という民族そのものの存在に危機感を抱いています。しかし希望を持ちたいと思います。背信を続け、各地に離散を余儀なくされたイスラエルの民の中に主は「レムナント」と呼ばれる真の信仰者たちを残されました。彼らのゆえに、イスラエルは3千年という時を超えて建国し、今も守られ続けています。日本のクリスチャン人口も少ないですが、主は1%の日本人クリスチャンによって、日本人という民族を守ってくださることを信じます。
祈り:愛する天のお父さま。あなたの御名を賛美します。この世と調子を合わせてはいけないと知りながら、数によって様々なことを評価していた私をお赦しください。あなたが召す働きは、数ではないということを学びました。多くても少なくても、忠実でありたいと願います。どうぞ、この世の基準ではなく、神の基準によって奉仕を続けていくことが出来ますよう、助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
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