「霊的戦い」
この2ヨハネの手紙の宛先は、1節『選ばれた婦人とその子どもたちへ」教会を支える婦人たちへの手紙で、愛と真理が繰り返されている。思い起こすと、旅の中で12使徒たちの日常の生活を支えたのも、十字架の主イエスを最後まで見守ったのも、復活の主を最初に見たのも、この選ばれた婦人たちであった。
ペテロの手紙 第一3章1節抜粋「たとえ、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって神のものとされるためです。」このみことばは、自分にとって心に刺さる、まさに自分はそのような聖書を知らずに、みことばに従わず、自分と家族にとって何が利益になることで、何が不利益か、何が楽しいことで、何を避けるべきか、自己中心の世界には、神中心の者達とは相容れない。そのような自分を主キリストに引き合わせてくれたのは、長年連れ添って、無言の振る舞いで支えてくれた妻であった事を感謝したい。
聖書の中の宝石中の宝石であるローマ人への手紙の最後の16章1~2節に「私たちの姉妹で、ケンクレアにある教会の奉仕者であるフィべをあなたがたに推薦します。…. 彼女は、多くの人々の支援者で、私自身の支援者でもあるのです。」彼女も同労者、プリスカはパウロの命を守るために、自分の命を危険にさらしたとも書いてあります。私達の教会を支えておられるのも婦人達であり、日本の教会全体でも中心になっておられるのは婦人達である事は間違いありません。
教会での結婚式を思い浮かべて下さい、新郎新婦はどちら側に立っていますか?新郎は右手で新婦は左側、通常は右側は権利の象徴 出エジプト記15章6節「主よ、あなたの右の手は力に輝き、主よ、あなたの右の手は敵を打ち砕く」主イエスも父なる神の右に座しておられます。自分の勝手な解釈ですが、新郎が右に立つのは、この世を生きる上で起こる問題、経済的なものも世の全ての悪から新婦を守る象徴ではないかと思うのです。しかし見る目を変えて、神の視点から新郎新婦を見ますと、なんと新婦が右側になります。新婦の役目は、霊的な戦いから新郎を守る権威と力が与えられているのではないでしょうか。自分もそれで妻によって救われたのです。
さらに聖書はただ単に、この世の結婚を世俗的には捉えてはおりません。エペソ人への手紙5章31~32節「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのですある。」この奥義は偉大です。私は、キリストと教会を指して言っているのです。
私達、主イエスを信じる者たちは、やがて主と共に一緒になる約束がされており、この霊的な真理を、みことばに従わない男どもに伝えてゆく権利を婦人達に与えておられるのではないでしょうか。 パウロの命を守るために、自分の命を危険にさらしたとありました。一人の霊的な命を救うためには、あなたの命をかけるほどの戦いが挑まれています。
祈り
どうか、私達の弱い信仰を支え、命をかけて、愛を持って真理を伝えられる者となることが出来ますように、私達を助けて下さい。あなたが愛されているシオンの丘、エルサレムで多くの人の血が流されております。 どうか人と人を見ながら裁くのではなく、私達が主イエスを見上げられるようになりますように アーメン
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