ヨハネの手紙には、ヨハネのニックネームである「愛の使徒」に相応しく、愛が満ちています。
「もし、私たちが神の命令を守っているなら、それによって、自分が神を知っていることが分かります。」(3)
ヨハネは、この手紙で「神の命令」という言葉を多用しています。その命令とは、旧約時代から変わっておらず、しかし、あえて新しい命令として知らせるということです。神の御心は、昔も今も変わらないのです。
その命令とは、「自分の兄弟を愛している人は光の中にとどまり、その人の内にはつまづきがありません。」(10)と記されているように、「互いに愛し合うこと」です。
そして「しかし、自分の兄弟を憎んでいる人は闇の中にいて、闇の中を歩み、自分がどこに行くのか分かりません。闇が目を見えなくしたからです。」(11)と続きます。
隣人を愛することは、光の中を歩み、隣人を愛さないことは、闇の中を歩むことになるというのです。
ヨハネは、歳を重ねて、隣人を愛し、互いに愛し合うことが、いかに素晴らしいことなのか、またいかに難しいことなのかも熟知しています。むしろこの御言葉からは、闇の中を歩んでいる者たちへの眼差しを感じ取れます。
この御言葉の前後には、罪の赦しについて記されています。1,2節と12節です。私たちが、隣人を愛し、互いに愛し合うことが出来るようになるとするなら、それは愛せない自分を知り、そしてイエスを知る時です。イエスを知ることは、その十字架によって愛せないという罪が赦されていることを知ることです。
この赦しがあってこそ、私たちは愛することが出来る者とされるのです。
ここでは「互いに愛し合いなさい」という命令が、律法としてではなく、恵みとして語られているのです。愛せない者を愛せる者へと変えてくださるのが、イエスの十字架の愛と力なのです。
天の父なる神さま
互いに愛し合うことのできる恵みの力を私たちに与えてくださり感謝をいたします。愛せないとき、愛が足りないとき、その時にこそ、主の十字架のもとに行くことができますように。あなたの愛で私たちを満たしてください。そしてあなたの愛を、この世に流していく者とさせてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
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