コリント人への手紙 第一 6章
『聖霊の宮』 アイゾン直子
コリント教会では、信者同士の争いについて、裁判所で決着をつけようとした人がいたようです。そのような人たちに対してパウロは、「あなたがたの中には、兄弟の間を仲裁することができる賢い人が、一人もいないのですか。」、と非難しています(5)。
神の子とされた信者たちは、神の相続人となりました(ロマ8:17)。そのような人たち、つまり、やがて訪れるイエス再臨の日には、世界に対して、また御使いに対しても、さばきを行う権威が与えられている、そのような人たちが兄弟を告訴し、しかも、それを信者でない人たちの前で争うのですか、とパウロは非難しています。
コリント教会の人たちが、どのような問題に関して、裁判所で決着をつけようとしたのかは書いていませんが、「どうして、むしろ不正な行いを甘んじて受けないのですか。どうして、むしろ、だまし取られるままでいないのですか」、と書いていますので、金銭問題のようなものがあったのでは、と想像します。
教会内であろうと外であろうと、金銭問題は関係の破壊、分裂を引き起こします。特に信者同士であった場合、どのように解決するのがよいのか、悩んでしまうと思います。また金銭に関わらず、信者同士のいろいろな争いに悩むこともあるかもしれません。
これに関してパウロは、むしろ不正な行いを受け入れ、だまし取られたままでいるほうがよい、としています。なぜなら、信者同士で訴えること自体、すでにサタンに敗北していることになるからだ、と言います(6‐7)。
裁判所のような公の場で決着をつけようとする動機は、往々にして、復讐心から起こるものだと思われます。そしてそのような思いは、サタンの誘惑に敗北している、ということに気づく必要があるのではと思います。ただし、これはあくまでも信者同士の争いについての教えです。不信者との争いであるなら、公の場で裁かれるべきだと思います(ロマ書13)。
「気を付けなさい。互いに、かみつき合ったり、食い合ったりしているなら、互いの間で滅ぼされてしまいます。私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません。」(ガラテヤ5:15‐16)
ガラテヤの教会も、コリント教会と同じく、教会内に分裂があったようです。その彼らにパウロは、肉の思いに囚われてはいけない、御霊によって歩みなさい、と教えています。
この、「歩みなさい」、という言葉は、ギリシア語では現在進行形になっているそうです。つまり、「歩み続けなさい」、または、「御霊に依り頼むことを習慣づけなさい」という解釈もできるそうです(中川健一ガラテヤ人への手紙参照)。
聖霊に委ねる習慣を身につけて、キリストによる自由を与えられた者として生きるなら、古い過去の自分に惑わされる機会を与える隙などないのかもしれません。
「あなたがたは知らないのですか。あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたはもはや自分自身のものではありません。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。」(19‐20)
聖霊が内住するからだのオーナーは神です。私たちの心と体は、キリストと一体化し、神のものとなりました。罪の奴隷ではなく、キリストの奴隷としてこの世を生きることが、信者同士を愛の律法に導き、さらには、神の偉大なるご計画を助ける働きに繋がるのだと思います。聖霊の満たしを、日々、求めていきたいと思います。
祈り:愛する天のお父さま。罪赦されたこの心とからだが、今はキリストにあって、聖霊の宮となりましたことを、ありがとうございます。しかし、サタンの支配下にあるこの世は、誘惑であふれています。気を付けていても、つい肉の思いに駆られ、不信仰になってしまう時があります。どうか、それら不信仰を赦し、日々、新しい自分を生きていく力が与えられますよう、助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
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