コリント人への手紙 第一 4章
『御こころの管理者』
Ⅰコリントを読み始めた時、1:9の御ことばが強く印象に残った。
「神は真実です。その神に召されて、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入られたのです。」
イエスさまはいかなるお方なのか、イエスさまを頭とした教会とはいかなる場であるのか?
イエスさまとたくさん交わってほしいと願うパウロ。パウロ自身が建てたコリント教会に向けて 、”イエスさまをあがめ、イエスさまと交わる真の礼拝とはなにか?” を、ストレートに問いかける章になると感じた。
ホノルル教会では今、新しい礼拝のスタイルを模索する試みが続いている。
今週の礼拝は、「見よ、わたしは新しいことを行う。」というイザヤの御ことばから、伝統を大切にしながらも、神さまのびっくりするような新しい御わざを受け取っていこうというメッセージだった。
神さまは生きて働いておられる。教会も新しい恵みを日ごとに受け取りながら躍動している。聖書もスタティックではなく、今この時、生きたメッセージを授けてくれている。
そして4章は以下の御みことばで始まる。
「人は私たちをキリストのしもべ、神の奥義の管理者と考えるべきです。」
私たちは主を賛美する礼拝者であると同時に、主の御ことばに従い実践する伝道者(管理者)としての自覚を持とうとパウロはさとす。ペテロも口を揃える。
「それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに支え合いなさい。」(Ⅰペテロ4:10)
そして管理者として、神さまの奥義に忠実であれという。奥義とは、例えばマタイに出てくる、1タラントのしもべと5タラントのしもべのたとえ話しなどであろう。
神さまからいただいた賜物(タレント)を後生大事に隠しておいた1タラントのしもべは、いってみれば賜物を私物化してしまった。礼拝者ではあったけれど、恵みをシェアし合う伝道者ではなかった。
使徒の元祖、初代使徒のパウロやペテロは熱い! イエスさま直属のしもべは、リミッターなしで命も惜しまず伝道する。
そしてパウロは歯に絹着せず、苦言を呈す。
「何についても先走ってさばいてはいけません。」(5節抜粋)
私たちの心中に巣食っている弱み、いちばん痛いところを突く。すぐに肉の自分で人をさばいてしまうこと。自分のことは棚に上げて、あーだこーだとあげつらってしまうこと。
反対に神さまはすぐにはさばかないお方だ。忍耐に忍耐を重ね、神の愛はどんなに深いかを示される。一人も滅びることを望まれず、悔い改めの機会を与えてくださる。
どうかこれ以上神さまを悲しませず、なにごとにも先走ることがないよう口を清めてください。御こころを忠実に理解できる管理者として、私を立たせてください。
イエスさまのお名前で感謝して祈ります。アーメン
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