コリント人への手紙第一 3章
エペソに滞在していた使徒パウロは、コリントにある教会に向かって、分裂はやめようと手紙を書きました。東西交易の要衝のコリントは、商業都市、文化都市でもありましたが、堕落もはびこっていました。その状況は、今現代に生きる私たちとも相通じるところがあるのではないでしょうか? あなた方の間に、ねたみや争いがあるのは、あなたがたが肉の人であって、普通の人間のように歩いているためではないか。(3節抜粋)肉に属するということは自己中心的で謙遜の心はありません。 イエスキリストを救い主として信じて救われ、キリストにあって聖徒とされたコリントの教会の人々。それでも、ある人は「わたしはパウロに」と言い、ほかの人は「わたしはアポロに」といっているようでは、あなたがたは普通の人間ではないか?(4節抜粋)仲たがいや分裂から起こる中傷やゴシップは、パウロの生きた時代も今も変わりません。
しかし成長させて下さるのは、神である。(6節抜粋)肉的なクリスチャンは、キリストのついての奥義、神のうちに隠された知恵やご計画を聞き取ることが出来ません。他のクリスチャンたちの証をきくことは大好きですが、キリストがどのような働きを行われているのか、キリストの愛についての深さ等について、無関心にもなりがちです。自分の生活にそれが、どのように当てはまるのかがよくわかりません。私たちが成長するためには、神のみことばを味わなければいけません。私たちが、神のみこころを個人的に知るには、神のみことばを学び、神のみことばを信仰によって受け入れることによってのみです。
私たちのクリスチャン生活、また教会生活は成長して、実を結ぶ存在で、問題が起こった時に、私たちがどのように克服して、そしてさらなる成長へ飛躍できるかが、大切です。私たちが成長するときに出てくる痛みを、喜んで受け入れて、そして前進していく、これが健全なクリスチャン生活であり、教会生活ではないでしょうか。
そして、パウロも、アポロも、ケパ(ペテロ)も、世界も、生も、死も、現在のものも、将来のものも、ことごとく、あなたがたのものである。そして、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものである。(22節、23節) 自分の周りで起こっているすべてのことは、すべてキリストにあって自分のために益になります。神を恐れ、すべてのことをとおしてキリストを知るクリスチャン生活は、祝福に満ちています。 祈りをとおしての主との交わりと、みことばの学びによって、御霊の人になりたいものです。
父なる神様、今日のみ言葉を感謝します。肉に属する者から霊の人への道程は、長い道のりですが、その中で、あなたの恵や祝福に預かれる幸いを信じて祈ります。 アーメン
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