ダニエル書12章
『終わりの時』森 宗孝
ダニエルの見た幻を夜空に輝く星と解く、その心は、星の輝きは皆同じように見えるが、それぞれの光は何千光年から何億光年前の光で、私たちの目には距離は見えずに同じように輝いている。ダニエルも幻を見ても、それがいつの時代の幻か判らなかったと思う。そのようにしてダニエルは捕囚の地でエルサレムに戻る時が70年であることを知り、やがてペルシャに代わってギリシャが台頭する事も見る、そうしていつか人の子が現れる事、さらにこの世の終わりの日の幻も見る。
1〜2節抜粋「かつてなかったほどの苦難の時が来る。しかしその時、あなたの民で、あの書に記されている者はみな救われる。ちりの大地の中に眠っている者のうち、多くの者が目を覚ます。ある者は永遠のいのちに、ある者は恥辱と、永遠の嫌悪に。」これは終わりの日の最後の審判の預言です。しかし私達が特に襟を正して学ぶ姿勢は、これら預言を自分勝手に解釈しない事だ。
ペテロの手紙 第二1章20節「ただし、聖書のどんな預言も勝手に解釈するものではないことを、まず心得ておきなさい」ですから、これから語る事も預言の解釈なので、別の意見もある事、決してこの見方に固守されないように、柔軟に対応して下さい。ダニエルに対しても、主がこう語られておられるからです。
ダニエル書8〜9節「私はこれを聞いたが、理解することができなかった。そこで私は尋ねた。「わが主よ、この終わりはどうなるのでしょう。」彼は言った。「ダニエルよ、行け。このことばは終わりの時まで秘められ、封じられているからだ。」こうして、神の御子であられる主イエスがこの世に来られて、続けてある程度まで、この世の終わりを説明して下さり、ヨハネを通じて黙示録も残して下さったのですが、いつこの終わりの日が来るかは主イエスも、父なる神の手にあると証されました。
確かに終わりの日がいつなのかは判りませんが、その前兆は示されています。自分にとって分かりやすかった解釈はこの様な解釈です。まずストップウォッチを思って下さい。ダニエルの70週の預言は69週まですでに起こりましたが、神の御手が最後の一週を残してストップウォッチを押されたのが現在の状況です。最後の一週、7日間は聖書的には7年間を示すので、この7年間が始まる時に、父なる神はストップウォッチを押されます。子羊たる主イエスが第七の封印を解き、御使いがラッパを吹く時に、この地は患難に見舞われ大災害が発生し、そして反キリストが世に現れて来ます。この最後の7年間は二つに分かれて、前半の3年半を患難時代とすれば、後半の3年半は大患難時代です。反キリストは一旦世界に平和をもたらす様に見えますが独裁者となり、エルサレム宮殿に立って、自分が神だと宣言するのです。どうやらダニエル12章は、その後の大患難時代に当たる後半の3年半を記しているようです。
7節抜粋「それは、一時と二時と半時である。聖なる民の力を打ち砕くことが終わるとき、これらすべてのことが成就する」一時と二時と半時とは= 3年半です。11節「常供のささげ物が取り払われ、荒らす忌まわしいものが据えられる時から、千二百九十日がある。」これも約3年半に当たります。そうして12節「幸いなことよ。忍んで待ち、千三百三十五日に達する者は。」 ここで解釈の限界を感じますが、この日時の差である45日間は、恐らく反キリストがエルサレム宮殿に立って世界を牛耳る期間かと思われます。そうしてまた残りの大患難時代へと突入して、患難時代にクリスチャンとなった者達は、次々と迫害を受け、買い物も出来ずに隠れ忍ぶ事になるのだと思います。忍んで待つ後半の3年半、それでもイスラエルの残れる者十四万四千人は世界中に福音を伝え続け、大患難時代は主イエスの地上再臨とハルマゲドンの闘いで最後の審判が下され、そこから千年王国が始まり、イスラエルの民は約束のカナンの地が与えられ、主と共に復活したクリスチャンは、主を助ける役割を果たす。これが自分の持つ終わりの時のイメージですが、なるべく聖書に沿って解釈していると自分は思うものの、全く異なった解釈もある事を我々は知らなければなりません。主の再臨はいつになるのか、だれも知らされていないのですから。
マタイ28章20節「わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」
祈り
この世の終わりがどうやっていつ来るか、私たちには到底分かりませんが、主イエスが、たとえ私が間違った解釈をしていようが、必ずいつも一緒に居てくださる事に、心から感謝致します。どうか弱い私の信仰を強めて、あらゆる国の人々に福音を伝えられる力と勇気をお与え下さい。主イエスよ、感謝致します。アーメン
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