コリント人への手紙 第二 7章
「愛するものたちよ、このような約束が与えられているのですから、肉と霊の一切の汚れから、自分をきよめ、神を恐れつつ、聖さを全うしようではありませんか。」で始まる7章。
おー、これを実行するのは難しいぞ。
どんな約束かは、6章最後にある通り、「わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる。ー 全能の主は言われる。」
大変ありがたい約束です。が、肉の人間である限り、聖さを全うするのは難しい。
その少し前に遡ると「キリストとベリアルに何の調和があるでしょう。」(6章15節抜粋)。「ベリアル」とは? ヘブル語で”落ちぶれ天使の一人の名前”、無価値または無益、を意味するらしい(Wikipedia参照)。するとキリストはその反対、最大価値と、読みとれる。
私は最近教会に行けていません。オンライン礼拝もままなりません。週に一度だけ学び会に参加させてもらっています。これがどれだけ私の救いとなっているか言葉では表現できません。常にこの世にいるベリアルのような落ちぶれ天使が、いかにも美味しそうなリンゴを手にして「食べよ、食べよ」といつも誘います。肉の思い100%以上と感じる私は弱くこれらの誘いにのみ込まれそうです。今日の7章は、そんな私を神様に目を向けるようにリマインドしてくれる章でした。
この7章は、私たちはキリストの十字架により救われ聖い神の子としてもらったのだから、悪いものや無価値のものから離れ、神の子らしくその聖さを全うしようではありませんか、と私は理解した。今でさえ肉の思いでいっぱいの自分は責められている気がした。
でも3節でパウロは、「私はあなたがたを責めるために言っているのではありません。」と言及している。ここでほっとさせてくれる。パウロは弟子テトスの働きも大きくコリントの民が神の御心に沿って悔い改めをしたことを喜んでいる。
祈り:天の父なる神様、今日もあなたは私たち一人一人と共にいることをリマインドしてくださり感謝です。この世に住む私たちは悪に囲まれています。どうか落ちぶれ天使たち(悪いもの事)の誘いに負けないように心を強めて下さい。私が本日の章でリマインドされたようにお一人お一人に、そしてまだイエス・キリストを知らない方々にもわかるように、物事、人々、そして御言葉を通してリマインドし続けて下さい。十字架で私たちの罪の為に死なれ私たちを救ってくださった一番聖いお方、イエス・キリストの御名により祈ります。アーメン
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