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2022年9月18日 ディボーション

哀歌2章


「哀しみ」と「悲しみ」の違いは、言うまでもなく「哀しみ」は外面的、他者への悲しみで、「悲しみ」は内面的、自分への悲しみを表している。哀歌の著者はイスラエルの民が神の裁きにより全てを失ってしまった残された民への深い哀しみを歌ったものだと言われている。


 哀歌2章は、「神の憤り」「民の嘆き」「祈りの叫び」と記されている。私が特に心に示された御言葉は19節に述べられている「祈りの叫び」である。


「夜、見張りの始まりに、立って大声で叫べ。あなたの心を主の前に、水のように注ぎ出せ。あなたの幼子たちのいのちのために、主に向かって両手を上げよ。彼らは街頭のいたるところで、飢えのために衰えきっている。」哀歌2:19


 この御言葉は、残された者が取るべき行為このことで、つまり、飢えと、体力で衰えている人々の為に大胆に声をだして祈るということなのである。これがとりなしの祈りをするということなのです。愛するイエスさまも父なる神の右の座にて、私達の為に日々とりなしの祈りをされておられるのです。そのために、今の私達が生かされているのである。感謝なことである。私達もまだ救われていない人々の為にとりなしの祈りをしていくということは、先に救われた者の務めではないでしょうか。


 旧約聖書を読んでいつも思わされることは、もし自分が旧約時代に生かされていて、真の神を知らずに偶像の神にうつつを抜かし、悔い改めることをすることができなかったらイスラエルの民と同じように裁かれていたことだろうということである。旧約時代に生を与えられなかったことに感謝したい。


 でも、新約時代でも、父なる神が、子なる救い主イエスさまを与えて下さったのにそのお方を信じようとしなかったのである。旧約時代であろうと新約時代であろうと、唯一真の神を信じて受け入れなければ何の変わりもないということです。「歴史は繰り返す」の一言に尽きるのではないだろうか。


神さま、今日の御言葉を心から感謝します。

イエスさま、今も私達のために日々とりなしの祈りをしていて下さっておられることを心から感謝します。私達も哀れみの心をもって他者の為にとりなしの祈りをしていくことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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