哀歌4章
「燃えるシオン」
哀歌はその時代背景からエルサレムが征服されてバビロン捕囚の憂き目に会うユダヤ人の哀しみを表しているのですが、自分にはもっと後の時代にも重なるイメージです。自国を失ったウクライナはどうでしょうか。領土を回復しているとはいえ多くの犠牲を払わされています。
主イエスの十字架の後の時代もそうです。エルサレムでは主イエスを十字架にかけた律法学者や祭司長たち、民たちはどうなったのでしょうか。
マタイ27章25節、群衆がイエスを十字架にと叫ぶ中、ピラトがこの人の血について私には責任がないと言うと26節「すると、民はみな答えた。『その人の血は私たちや私たちの子どもらの上に。』この聖句はユダヤ人迫害のこじつけで使われてしまいましたが、確かにユダヤの民は大変なことを公言してしまったのです。主イエスが十字架に架けられたのはAD30年前後で、それから約40年後のAD66年から70年にかけてローマ軍が何度かエルサレムを包囲しました。エルサレムの住民や祭司長の中にはイエスを十字架にかけた者たちも年寄りとなっていたことだろうと思います。彼ら子どもらの血は流されます。ローマ軍のエルサレムへの最後の攻撃が始まったのはあの十字架の過越の祭の数日前である70年の4月14日、ティトゥス率いるローマ軍のエルサレム攻囲戦が開始され大変多くのユダヤ人が殺されました。5ヶ月後の9月7日にローマ軍はエルサレムを徹底攻略し、神殿を保存しようとしたティトゥスの意に反して、80年間かけて建築された神殿には兵士たちよって火がかけられて消滅しまったのです。宮殿の飾りの金が熱で溶けて岩の間に落ちたので、勝利品を奪おうとする兵士たちは土台の石を壊してこの金を採ったとも言われていますが、神殿で残されたのは現在の嘆きの壁だけとなったようです。この戦闘でユダヤ人110万が殺されたと記録されています。この戦闘の40年前に、主イエスが民の歓迎するエルサレムに入城した時に弟子たちは宮殿の素晴らしさに驚嘆していましたが、主は逆にマルコ13章2節「すると、イエスは彼らに言われた。「この大きな建物を見ているのですか。ここで、どの石も崩されずに、ほかの石の上に残ることは決してありません。」
きっと主の目には、将来のローマ軍の征服したエルサレムが見えていたのでしょう。
実は、このエルサレム崩壊を預言しているように哀歌4章が表していると思えたのです。哀歌4章9節前半「剣で殺される人は、飢えで殺される者たちより幸せであった。」ローマの包囲の為、エルサレムでは飢え死にした人がたくさんいたそうです。11節「主は憤りを出し尽くし、燃える怒りを注ぎ出された。主はシオンに火を放ち、火はその礎を焼き尽くした。」13節「これはその預言者たちの罪、祭司たちの咎のためである。彼らは、その町のただ中で、正しい人たちの血を流した。」
正しい人の血と言えば、主イエスの後に信徒であったステパノが石打ちの刑で亡くなり、次々にクリスチャンが迫害されました。正しい人たちの血が流されたエルサレムでした。伝道者書3章11節「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。」
哀歌4章22節前半「娘シオンよ、あなたへの刑罰は果たされた。主はもう、あなたを捕らえ移すことはなさらない。」私たちは神のみわざのほんの一部しか見ることはできませんが、世界中に散らばされたユダヤ人がエルサレム崩壊のなんと1900年後に、この地に戻って来ることができイスラエル国家ができたのは神のみわざ以外の何ものでもありません。
祈り
私たちが人生の中で苦難に遭う時に、主が見えなくなってしまう。主がそんな自分を支えていることさえも気がつかない。どうか私たちの目を開き、主の御手がそこにあることを覚えられますように。御霊の光が消えてしまわないように、笑顔が消えてなくなりませんように、幸福も苦難も、神からのものとして感謝して両手で頂くことができますように祈ります。アーメン
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