2022年9月14日 ディボーション

エレミヤ書50章


『バビロンの滅びの宣告』


 イスラエルは、神の裁きによりアッシリアの王に食われ、その骨はついにバビロンの王ネブカドネツァルが食らった。そして、今度はバビロンが滅ぼされるというのだ。神の目に義とされることを行わなければ裁きが待っているということである。


 バビロンは、主の御計画の為に用いられたのに、彼らも又、ベルとメロダクという偶像の神を拝していたのである。高慢になっていたのである。自分の力を過言して、イスラエルの民とユダの民を虐げたのである。主に対して罪を犯した者は、神が見逃すはずはないのだ。15節と16節では、恐ろしいまでに、主の復讐がリアルに表されているのである。そして、40節で、「神がソドムとゴモラと、近隣の町々を滅ぼしたように、―主のことば―そこには人が住まず、そこには人の子が宿らない。」と、神はバビロンを完全に滅ぼされると述べられるのである。


 神に用いられているからといって何をしてもいいということではないのだ。神に用いられている時ほど最も気をつけなければいけないことは、高慢にならずに、常に、謙遜になることを自覚していくことではないだろうか。自分の力でやったと思っても、それは、自分の背後には常に神の介入があった為に成し遂げさせてもらえたということであって、決して自分ではないということを忘れてはならないことである。


その日、その時―主のことば―イスラエルの咎を探しても、それはない。ユダの罪も見つからない。わたしが残す者を、わたしが赦すからだ。」50:20 


 なんという神のユダに対する深い愛と憐みにみちた御言葉でしょうか。神は、決してご自身の選民をお見捨てにならないお方である。それは、イスラエルとユダとの新しい契約を結ぶということである。解釈では、その新しい契約はイエス・キリスが贖いの十字架の死によって成立したということである。(へブル人への手紙8章、9章を参照)


愛する神さま。今日の御言葉を感謝します。容赦ない裁きの後にもご自身の選民への深い愛と憐みに心が打たれました。私達クリスチャンもイエス・キリストの十字架による一方的な愛によって救われて、生かされていることに感謝します。日々高慢にならず、へりくだる心をあなたにむけて、自分を低くしていくことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


閲覧数:26回

最新記事

すべて表示

使徒の働き9章 この9章は、パウロの回心の出来事が記されている。この一連の出来事をドラマのようにイメージすると、なんとも劇的で、手に汗握るシーンがあり、中には「サウロの目から鱗のような物が落ち」(18)とあり、なるほど「目から鱗」とは、ここがオリジナルなのだと判ったり、読み応えのある章である。 パウロは、かつての迫害者から、イエスが「神の子」であることを証言する者へと変えられた。彼は、旧約聖書に精

使徒の働き8章 使徒たちはステパノを葬った後も御言葉を伝えるのに専念した。 8章の中で気になったのはサマリアで魔術を行なっていたシモンである。この者は魔術で人々の関心をよび、「この人こそ大能と呼ばれる」と言われた。シモンはペテロとヨハネが人々の上に手を置きイエスの御名によって御霊が与えられたのを見て、その力を金で買おうとした。 この世ではこの行為は日常茶飯事のことのように思える。一個人の利益名声の

使徒の働き7章 『最初の殉教者ステパノのメッセージ』 使徒の働き7章は最も長いもので、イスラエルの歴史と民に対する非難を語っているのである。7章は6章の続きで、人々の偽りの告発の為に最高法院に引いて行かれたステパノの長いメッセージが語られている。 51節から53節の説教は、人々が祖先と同じような間違ったことをしてきたことが語られているのである。 要約すると次のようになる。「うなじを固くして、心と耳