エレミヤ書13章
『みことばを伝える』
「耳を傾けて聞け。高ぶるな。主が語られたからだ。」(15)
唯一の神から離れ、心頑なになって罪を重ねる民の姿に、神は深く悲しまれました。自分の愛する人たちを、そのさばきから守ろうと、エレミヤは主のことばを叫び続けました。
「耳を傾けて聞け。高ぶるな。主が語られたからだ。あなたがたの神、主に、栄光を帰せよ。まだ主が闇を送らないうちに、まだあなたがたの足が夕暮れの山でつまづかないうちに。あなたがたが光を待ち望んでも、主はそれを死の陰に変え、暗黒とされる。」(15-16)
ほかの神々に従って歩み、それらに仕え、それらを拝む民に対して、神がエレミヤを通して語られたことばです。偶像礼拝に深く関わっていた民の心は頑なで、神の声など聞こえなくなっていました。その頑なさは、彼らの高ぶり、プライドのゆえでした。
イスラエルの民はバアル礼拝に心奪われ、バアルの預言者や祭司のことばを信じていました。しかし、すべてを治めておられるのは、唯一の神であられます。その神に反抗するなら、暗黒が送られるのです。光のない世界に入って行くのです。だから夕暮れのうちに、主に立ち返りなさい、とエレミヤは語ります。
「もし、あなたがたがこれに聞かなければ、私は隠れたところであなたがたの高ぶりのために嘆き、涙にくれ、私の目には涙があふれる。主の群れが捕らわれて行くからだ。」(17)
滅びの道を歩み続ける同胞たちの姿を見てエレミヤは、このことばに聞かないなら、神も涙される、と伝えたかったのかもしれません。偉大なる神を悲しませてもいいのか、と訴えたかったのかもしれません。
バアルとは、最高位の神だったそうです。この神は、農産物の収穫など、多産を可能にする多産の神でした。子どもを授ける神としても有名で、礼拝そのものは官能主義、神殿では儀式的な売春行為も行われていました。また、バアルの神をなだめるための、人間(長子)の犠牲を要求しました。バアルの祭司たちは、バアルに訴えるために、騒々しい自由奔放な儀式、たとえば、声をあげたり、恍惚として叫んだり、自分の体を傷つけたり、という儀式を行っていたようです。
(https://www.gotquestions.org/Japanese/Japanese-who-baal.html)
内容を知ると、なぜそのような神をイスラエルの民が信じたのか、と思いますが、国をあげて礼拝していたのです。そこに疑う余地などなかったと思われます。私自身クリスチャンになる前は、八百万の神を信じて、神社仏閣に願い事をし、そこに安心を得ていました。日本という国がそういう国だからです。
エレミヤは神のことばを預かり、私たちには福音が預けられました。預けられた目的は同じです。それを伝える、という使命です。このことについて、パウロは次のように教えています。
「私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。植える者と水を注ぐ者は一つとなって働き、それぞれ自分の労苦に応じて自分の報酬を受けるのです。私たちは神のために働く同労者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。」(1コリント3:6-9)
エレミヤの声に民は耳を傾けませんでした。しかし、伝え続けたことばは民の心の中に、種となって植えられました。伝えても伝えても、伝わらないかも知れません。それでも恐れず、伝えていくことの大切さを、エレミヤから学びたいと思います。
祈り: 愛する天のお父さま。あなたの大切なみことばを預かっている者として、その使命を果たすことが出来ますよう、導いてください。拒否されるのでは、と恐れる心を強めてください。どうか、あなたが伝えたいことばを、私が伝えることが出来るように、助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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