2022年8月7日 ディボーション



主よ。私があなたと論じても、あなたのほうが正しいのです。それでも、私はさばきについてあなたにお聞きしたいのです。 なぜ、悪者の道が栄え、裏切りを働く者がみな安らかなのですか。」(1節)


 エレミヤの主に対する祈りは、かなり切羽詰まった言い方だと思わされた。主と論じても、主が正しいのは100% であることを知っているのに、それを覚悟のうえでの主への祈りは、「なぜ、悪者の道が栄え、裏切りを働く者がみな安らかなのですか。」ということである。エレミヤは祖国のアナトテの人々から命を狙われていることを知って激しく怒っていたのである。復讐せずにはおられなかったのだ。預言者として神の為に忠実に働いているエレミヤを、アナトテの民は彼を敵としてみてさらに殺そうとしているのである。エレミヤは怒って主に懇願するのである。

 3節で、「どうか彼らを、屠られる羊のように引きずり出し、殺戮の日のために取り分けてください。」と、あの涙の預言者、柔和なエレミヤが口にすることとは思われないことをしたのだ。現在の私達でも祖国の民に裏切られたらエレミヤのようになるのではないだろうかと考えさせられるところである。


 主は、煮えたぎっているエレミヤの心を諭すかのごとく、エレミヤの問に答えられるのである。「あなたは徒歩の者と競争して疲れるのに、どうして馬と走り競うことができるだろうか。平穏な地で安心して過ごしているのに、どうしてヨルダンの密林で過ごせるだろうか。」(5節)

 すばらしい言葉の表現である。これから起ころうとするエルサレム炎上の始まりであることをエレミヤに述べたのである。神は、エレミヤの苦しみの訴えはまだ序の口で、ほんの始まりであるために世の中が不公平に見えるだけであろうと言われている。世の中の歴史は悪者に向けられた神の裁きが、エレミヤの想像を絶していたことを証していると語られている。

 神は裁かれないわけではない。17節で、「しかし、彼らが聞かなければ、わたしはその国を根こそぎ滅ぼす。」だが、神は、もし彼らがわたしの民の道をよく学び、わたしの名によって、「主は生きておられる」と誓うなら、彼らはわたしの民のうちに建てられる。」16節(一部抜粋)

 憐れみによって民を自分の土地にかえらせてくださると言われているのである。アーメン 


 イエスさまも又、故郷の民、ユダヤ人に裏切られたのである。しかし、イエスさまは、父なる神に、彼らを殺してくださいとは祈らなかったのだ。そればかりか、十字架のうえで天の父なる神に叫ばれたのは、ルカの福音書23章34節(一部抜粋)で、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」と祈られたのである。イエスさまは、最後の最後までご自分を裏切ったユダヤ人、そして私達のために父なる神さまに祈り、とりなしてくださったのである。イエスさま、ありがとうございます。


祈り

愛する天の父なる神さま。あなたの御名を心からほめたたえます。

祖国の民から裏切られた時に、果たして彼らのために祈ることができるかどうかわかりませんけれども、「主は生きておられる」というみことばを覚えて歩む者としてください。すべてを委ねて、主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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