エレミヤ書11章
『なんだっけ? 契約と預言』
「この契約のことばを聞け。これをユダの人とエルサレムの住民に語れ。」(2節)
冒頭のこの、主のことばを聞いて2つのことを思った。
①神さまの契約ってなんだっけ?
「わたしの声に聞き従い、すべてわたしがあなたがたに命じるように、それを行え。そうすれば、あなたがたはわたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる」(4節)
これが神さまの契約だ。ただし契約にも種類があり、イエスさま預言などの特定の契約の内容もあれば、この4節みたいに「わたしの民となれば、あなたの神となる」という、聖書全体の、神さまとの関係の根本、本質の契約もある。
そして契約は、その時代、その人、創世記から新約の時代、私たちが今生きるその時々で、常に更新されている。神さまも聖書も生きて有機体として存在しているからだ。
「神学はソリッドなものではなく、ダイナミックに変わるもの」、修養会で受け取った、これからの私のテーマだ。
②神さまの預言ってなんだっけ?
契約は今もアップデイトされ続けている。だから、旧約のみことばも私たちに適用できる。
みことばが普遍だからだ。だから預言は未来予測ではない。神さまは未来を変えることもできるお方だから、予測する意味はない。
神さまのみことばを預かり伝えることが預言。「アーメン。主よ。」(5節)、エレミアは従順にアーメンと同意したから、神さまは預言を続けてくださった。
出エジプトの時代から「わたしの声を聞け」と、しばしば戒めてきた神さま。なのに聞こうとせず、「頑なで悪い心のまま」に歩んだ。
神さまは、「頑なな心」をものすごく嫌われる。そういう者には災いの預言が伝えられることさえある。
「あなたは、この民のために祈ってはならない。彼らのために叫んだり、祈りをささげてはならない。彼らがわざわいにあって、わたしを呼び求めても、わたしは聞かないからだ。」(14節)
エレミアのとりなしの祈りさえも禁じるほど呪う神さま。預言は実にさまざまだ。本質的な預言もあれば、災い、呪い、励まし、叱責、警告の預言もある。
なぜ預言をするのか? すべて、悔い改める機会を与えるためだ。神さまに従い、ゆだねるのだ。そうすれば決して悪いようにはしない。災いの中で、呪いの中でそれでも神さまにゆだねるのは辛く厳しい。それでもなお、それでもなお、みことばの愛と励ましを信じて従える者でありたい。
「そうすれば、わたしはあなたがたの神となる」と契約してくださっているのだから。正しいさばきができるのは神さまだけなのだから。契約は絶対、契約における神さまの正義の発動を感謝して待ちます。イエスさまのお名前で祈ります。アーメン
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