エレミヤ書36章
『巻物の焼却』
神のみことばが書き記された巻物を焼却するということは、今の私達にとって、聖書を焼却するということと同じくらいに値するのではないだろうか。とんでもないことである。だが、例え、巻物は焼却されても神のみことばは永遠に残るものである。
アーメン。
神は、エレミヤにヨシヤの時代から今日までのことをイスラエルとユダとすべての国々について語ったことばをみな、巻物に書き記せと言われた。なぜなら、3節で、「ユダの家は、わたしが彼らに下そうと思っているすべてのわざわいを聞いて、それぞれ悪の道から立ち返るかもしれない。そうすれば、わたしも、彼らの咎と罪を赦すことができる。」と言われておられるのである。何という神の、民を思うご慈悲な気持ちが込められているみことばでしょうか。
そういう神の愛を無視して、エホヤキムは巻物を暖炉の火に投げ入れて、すべてを焼き尽くしてしまうのである。そればかりか、24節で、「これらすべてのことばを聞いた王も、彼のすべての家来たちも、だれ一人恐れおののくことはなく、衣を引き裂くこともしなかった。」と述べられている。つまり、読まれた巻物が神のみことばであるということを誰も信じていなかったのである。もし王であるエホヤキムが主を心から信じる者であったなら、彼やすべての民が、主を恐れおののき、衣を引き裂いたことでしょう。そして、悔い改めることができたことでしょう。指導者の立場としての責任の重さを示された思いがした。
神は、エレミヤに、再びもう一つの巻物を取り、エホヤキムに厳しいさばきのことばを書き記せといわれるのである。神を畏れずに、悔い改めることを知らない者への最後の審判が下るのである。
愛する天の父なる神さま。あなたの愛を心から感謝します。
「あなたのみことばは 私の足のともしび 私の道の光です。」詩篇119:105
私達の人生を導く光は聖書のみことばであることを、いつも心の糧として歩ませて下さい。そして、そのみことばを多くの人々に伝えることができますように私を日々導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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