エレミア書35章
『誠実なレカブ人』
ハワイではあまり見ませんが、米国本土で家具を探す時にアーミッシュの家具があります。その家具は全く釘を使わずすべて手作り、そんな木造りのアーミシュの家具を見たことはありませんか?
アーミッシュを調べてみると米国ペンシルベニア州や中西部に住む宗教団体で、彼らはもともとはドイツ系移民です。移民当時の生活様式を守って、農業や牧畜によって自給自足、世界で約35万人ほどいるそうです。馬車を交通手段として生活し、怒ってはいけない、喧嘩はだめ、賛美歌以外もだめ、化粧はもってのほか、男性は口髭。映画にもなっているのでご存知の方は多いかもしれませんね。
このエレミア35章にあるレカブ人も現代のアーミッシュと似ている人々だったようです。聖書にあるナジル人というのもまた、そのような清い生活様式を自ら選ぶ人だったようです。預言者アモス書2章12節にもレカブ人と似たような描写があります。「しかし、あなたがたはナジル人に酒を飲ませ、預言者には「預言するな」と命じた。」
もともとこの章にあるレカブ人とはモーセの従兄弟でカナンの地に住みながら、昔からの天幕生活し、ぶどう酒を飲まず先祖の教えを守って生活していたのがレカブ人です。今で言えば、規律を重視した修道院生活をしていたのではないかと想像します。先祖から、ぶどう酒を飲むなときつく教えられていたレカブ人に対し、主はエレミアに命じてぶどう酒を勧めろと言われています。先祖の教えで酒を絶っているレカブ人に酒を勧めながら、先祖の教えを守らないユダヤの民との比較をしている章です。
教えを守るレカブ人に対して主のみことばに聞き従わないユダヤ人にこう語ります。エレミア35章15節「わたしはあなたがたに、わたしのしもべであるすべての預言者たちを早くからたびたび遣わして、さあ、それぞれ悪の道から立ち返り、行いを改めよ、他の神々を慕ってそれに仕えてはならない、わたしがあなたがたと先祖たちに与えた土地に住め、と言った。それなのに、あなたがたは耳を傾けず、わたしに聞かなかった。」
中身は異なりますが、似たような新約聖書の場面を思い浮かべました。使徒の働き10章で主がヤッファでシモンという皮なめし職人の所に滞在していたペテロに夢で3度も天から、食物規定で食べてはいけない動物や鳥などが吊り降ろされ、屠って食べなさいと言われました。ペテロがなぜこんな夢を見るのか不思議がっているとローマ人百人隊長のコルネリイウスの使いが来てペテロは夢の理由を理解したのです。その時に神はどのような人のことも、きよくない物とか汚れた物とか言ってはならない。異邦人にも主のことばを伝えなさいと示された事を理解したのです。
先祖の命令に誠実なレカブ人の姿と神の教えから何度も離れ、悪の道から立ち返らないユダヤの民を比べる。神の御心に従わないユダヤの民には結果として災いが下される。しかし、規則だけを重視して、その中に秘められた神の御心を理解できなかったペテロに、今度は逆に食べてはいけない物をペテロに示し、神の規則を守っていると思っているペテロに、規則の奥義、神の心を示された。主イエスも神の規則に従っているとする祭司や律法学者たちが、神の御心を踏みにじっているわざわいだと記されています。幸いの道とわざわいの道、実はマタイ5章の八福の教え、山上の垂訓である「心の貧しい者は幸いです」は皆が好む章ですが、それに対比するように、マタイ23章では7つのわざわいが偽善の律法学者、目の見えない案内人たちに対して記してあるのです。このエレミア35章にはレカブ人のように誠実な道、幸せの道と神のおしえを破り、悔い改めをしないユダヤの民のわざわいの道が比較されて示されています。
祈り
自分がこれから通るべき道がどの道なのか分からない事があります。主のみこころが導く道が見えないのです。どうか私の拙い祈りに応えて下さい、歩むべき道をお示し下さい。祈りながら、そして留まり御声を聞こうとしながら進む道が主のみこころの道でありますように アーメン
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