2022年8月3日 ディボーション

エレミヤ書 8章

 

「いつまでも背信を続け、主の定めを知らない民」


主はこう言われる。人は倒れたら、起き上がるものではないか。離れたら、帰って来るものではないか。なぜ、この民エルサレムは、背信者となり、いつまでも背信を続けているのか。彼らは偽りを握りしめ、帰って来ることを拒む。わたしは気をつけて聞いたが、彼らは正しくないことを語り、「私は何ということをしたのか」と言って自分の悪を悔いる者は、一人もいない。」4~6節

 神は、選民に対して、こんな常識的なこともわからないのかと言われているようである。         さらに、7節で、「空のこうのとりも、自分の季節を知っている。山鳩も燕も鶴も、自分の帰る時を守る。しかし、わが民は主の定めをしらない。」と語られている。

 神は、御自分の民に対して、当たり前のことを、頑強に拒み続けようとする理不尽さを、指摘されて、さらに空の鳥たちは神の支配の法則に従順であるのに、自分の民は全く不従順で、悔い改めようとしないことへの、驚きが5,6,7節で述べられている。偽りをいつまでも握りしめていたら真のものを聴く耳がふさがれてしまうということになるのではないだろうか。

 

 神は、バビロン帝国による襲撃を16,17節で語っておられる。この容赦ない神のさばきにエレミヤの心は耐えがたいことであった。エレミヤは18節で、「私の悲しみは癒されず、私の心は弱り果てている。」 21節で、「娘である私の民の傷のために、私は傷ついた。うなだれる中、恐怖が私をとらえる。」と言っているのである。民と泣くエレミヤは、預言者であるということをはるかに越えて、民が主に悔い改めずに自らさばきの道へと歩んでいこうとする破滅を嘆き悲しんでいるのである。旧約時代の預言者の中で泣く預言者はエレミヤだけだと言われている。このエレミヤの涙は、主ご自身の涙でもあったのだろう。新約時代のイエスさまもルカの福音者19章41節で、「エルサレムに近づいて、都をご覧になったイエスは、この都のために泣いて、言われた。」と語られておられる。



祈り

愛する天の父なる神さま。御名をほめたたえます。

今日のみことばを心から感謝します。神を畏れないイスラエルの民のことを知った時、祖国日本のことを思いました。日本では、まだまだ偶像礼拝者で溢れています。彼らが一日も早く悔い改めてイエス・キリストを救い主として受け入れることができますように導いてください。私たちクリスチャンを用いてください。感謝して、委ねて、主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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