2022年8月22日 ディボーション
- hccnichigo
- 2022年8月22日
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エレミヤ書27章
『主の御声を聞く』
「それらはバビロンに運ばれて、わたしがそれを顧みる日まで、そこにある‐主のことば‐。そしてわたしはそれらを携え上り、この場所に戻す。」(22)
共同訳聖書では「くびきの預言」という題が付いているこの章は、主がエレミヤを通してイスラエルの民に、バビロンの王のくびきを負い、彼とその民に仕えるようにと預言されました。エレミヤの首に付けられた縄とかせは、視覚に訴えたバビロンへの服従のしるしでした。
主のみこころは、イスラエルの民がバビロンに仕えて生きることにありました。偶像礼拝に陥り、背信の民となったイスラエルを、再び清い民とするため、神は70年間のバビロン捕囚を用いられたのです。
そして、世代交代されたイスラエルの民たちを神は顧みて、再びエルサレムに戻すと約束されたのです。
主の御声を聞くなら祝福が、聞かないなら呪いに与ることは、天地創造の時から変わらない神の教えです。特に、文字による律法が与えられて以降は、民は罪を認識することができるようになっていたのです。
にもかかわらず、律法を忘れ、御声を聞き分けることができなくなっていたイスラエルの民は、ひたすら滅びの道を選んでしまいます。バビロンに仕えないなら、剣と飢饉と疫病が彼らを襲い、皆殺しになるのだと語られても、彼らは信じず、神が選んだのではない預言者の言葉を信じるのでした。
聖書は、イスラエルの民の歴史を通して、恵みの時代を生きる私たちに同じ過ちを犯さないよう、何度も何度も、繰り返し繰り返し、滅びではなく、いのちを選びなさいと、語っています。
日々、聖書のみことばと交わるなら、キリストの御声を聞くことができます。そして神が人類に与えた祝福は、旧約の時代も、新約の時代も変わらないことを覚え、何をするにもまず、この命令に立ち返ることの大切さを学ばせていただきました。
「聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」(申命記6:4-5)
「イエスは彼に言われた。『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』」(マタイ22:37)
祈り:主よ、あなたを愛します。世の言葉ではなく、常に御声を聞くことが出来ますよう、聖霊様導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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