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2022年8月19日 ディボーション

エレミヤ書24章 

「見よ、主の神殿の前に、二つのいちじくが置かれていた。」(1)

 神は、エレミヤに良いいちじくと悪いいちじくを見せて、神の御心を悟らせた。

 バビロン捕囚となったユダの民は、捕囚からの解放と回復が預言されているが、捕囚となった民たちは滅ぼされることになる。 

 捕囚とは、神の裁きの結果だ。捕囚にならないということは、神の裁きから逃れたということだ。神の裁きを通らなければ、その後の解放と回復を受けることはできない。

 誰でも裁きからは逃れたい。しかし通るべき道を通らなければ未来は開かれてこない。私たちにとって、通るべき道とは、十字架のイエスとの出会いだ。

 イエスを十字架につけたのは誰か?この問の前に立ち、自らの罪を認め、悔い改めるとき、私たちの未来は開かれてくる。

 私たちは、神に近づくことによって、その聖なる光に照らされて自分の罪深さが分かる。その時に、その聖なる光から隠れて、逃げるか、それとも自分の罪を認め、その罪のためにイエスが十字架にかかってくださったと信じるかどうかである。

 良いいちじくとは、自らの罪を悔い改め、十字架の救いを信じた者たちのことだ。その者たちには「わたしは、わたしが主であることを知る心を彼らに与える。」(7)と約束してくださった。

 私たちが、今、この主が主であると知ることが出来ているのは、まさに恵みなのだ。

 私自身の人生を振り返ってみたとき、何度か、その後の人生を決定づける転機と言える場面がある。そしてはっきりと言えることは、そこで十字架の道を選んだときには、その後に、神の驚くばかりの祝福があったということだ。逆もしかり。

 その道を選ぶことによって、自らが十字架のもとに導かれるのか、それとも離れていくのか、そこはまさに人生の分かれ目となる。

 天の父なる神さま。

 私たちは、今それぞれの人生の旅路を歩んでいます。もし私たちが十字架のイエスのもとに行かなければならない時があったなら、主よあなたに信頼して、十字架のイエスのもとへ行くことができますように。暗闇に帰ることなく、光に留まることができますように。聖霊が私たちを助けてください。

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

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