2022年8月1日 ディボーション

エレミヤ書6章

 

『主の道を選ぶ』

 

「主はこう言われる。「道の分かれ目に立って見渡せ。いにしえからの通り道、幸いの道はどれであるかを尋ね、それに歩んで、たましいに安らぎを見出せ。」(16要約)

 

 時代背景は、当時覇権国であったアッシリアが滅ぼされ、イスラエルの民は平和が戻ったと歓喜している中にありました。平安がないのに、「平安だ、平安だ」と言っていたのです(14)。

 しかし神は、わざわいが北から見下ろしている(1)、神が忌み嫌うことを行い続けるなら、次なる滅びがやって来ると民たちに伝えます。

 

 しかしイスラエルの民は、エレミヤのことばに全く耳を傾けていません(10)。彼らは、多くの預言者や、また祭司によってそのように扇動されていたのです(13)。それら預言者や祭司に対して神は、民の心の傷をいいかげんに癒し、その行いは恥を知らない(14-15 )と怒りを露わにしておられます。

 

 しかし神は、あきらめず、何とかして神の選びの民を滅びから救おうと、語り続けます。


「主はこう言われる。「道の分かれ目に立って見渡せ。いにしえからの通り道、幸いの道はどれであるかを尋ね、それに歩んで、たましいに安らぎを見出せ。」(16要約)


 これは、数本の分かれ道に立つとき、どの道が良いのか、よく見て判断しなさい。そして、昔からの道、ただ一つの道である神の道を歩みなさい、と言う意味があるそうです。なぜなら、神の道を歩むなら、たましいに安らぎを得るからです。


 このような神の愛は、今を生きる私たちにも、何ら変わらず注がれている神の恵みであります。霊的滅びを願うサタンの攻撃に対する教えは、エレミヤの時代も今も、変わってはいないのです。

 

 ときに神は、立ち止まることを知らないで歩き続ける者に対して、すべての戸を閉ざし、静止するしか仕方のない状況を造られます。そして、「よく見て、神の道を歩みなさい。」と語られます。

 

 神は、誰一人として、滅びの道を歩むことを望んではおられません。それが神の子とされた者たちであるなら、なおさらなのです。

 

「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイ11:28-30)

 

 

祈り: 愛する天のお父さま。立ち止まることの大切さを学びました。ありがとうございます。何もしないでいることによる罪悪感、また将来への不安を抱いていたこと、お赦しください。みことばを学び、それに従うことが、私が歩むべき幸いの道です。よく見て、常に神の道を選んで歩むことができますよう、導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

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