2022年7月9日 ディボーション

ヨハネの福音書 4章


『イエスさまと1対1で』


 ヨハネの福音書は個性的だ。その特徴の一つは、目撃者としての客観的証しではなく、記者自身の主観的な記事があるということ。1章1〜14節と、3章16〜21節だがそれだ。

 福音の第一声は、直球ど真ん中のことばで神さまの臨在と栄光を鮮やかに射抜く。

「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」(1節) 

 続く2節から14節までも、すべて使徒ヨハネ自身のことばとして語られている。その内容は、イエスさまの素性や使命が簡潔に述べられている。そして洗礼者ヨハネは、イエスさまを証しするための存在であると、神の子イエスさまとの違いも整理している。

 ヨハネ自身のことばは3章16節〜21節にもある。聖書の中の小聖書、ミニバイブルと称えられる箇所だ。愛と義の神さまが、イエスさまをこの世に遣わし、十字架にかけて罪を赦し、私たちを救うこと‥‥聖書の核心が語られているのである。このヨハネ自身というか、聖書を一人称にしたような書き方は、創世記的でもあり、とても格調が高い。


 もう一つのヨハネ福音書の個性と魅力は、イエスさまが30歳で公生涯を始められた、初期の宣教活動が描かれていることだ。

 ヨハネ1章から今日の4章までの記事内容は、マタイ、マルコ、ルカの共観福音書と呼ばれるグッドニュースでは報告されていない。なのでじっくり味わいたい。

 4章の登場人物はサマリアの女。イエスさまは慣習を捨て、1対1で向き合われる。

「わたしに水を飲ませてください」(7節抜粋)は、「神の賜物」(10節抜粋)を受け取りなさいということ。理解させるためにイエスさまはかみ砕いて「生ける水」(10節抜粋)、「永遠のいのちへの水」(14節抜粋)とことばを変えて対話する。

 サマリアの女が、「その水を私に下さい。」と求めると、イエスさまはガラリと話しを変えて、「夫を呼んで来なさい。」と言う。5回も離婚を繰り返し、今は同棲している男がいる女にとって、それは隠しておきたい汚れ。それでも女は正直に罪を認め、でもいたたまれなくて、「礼拝する場所」について質問した。噛み合わないズレを好機として、イエスさまはまず、礼拝者として神さまの前に進み出る=自分の汚れや罪を包み隠さず、ありのまま神さまに差し出すことの大切さを諭した。

「神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません。」(24節」

 これは重い、厳しく、大切な諭しだ。私も自分のブラックな部分など見たくない。さらけ出せていない、中途半端な態度で神さまの前にいることがある。


 それでもサマリアの女のように、イエスさまの前から逃げず、一歩また一歩と進み出て、ありのままの自分を差し出せば、イエスさまはじっくり1対1で交わってくださる。

 3章のニコデモとも1対1で対話してくださった。イエスさまは一人ひとり個別に向き合ってくださるお方なのだ。

 ラザロの復活とかマグダラのマリアとか、ヨハネの福音書は、一人ひとりとていねいに向き合ってくださるイエスさまの愛の姿が多く描かれている。それも嬉しい特徴だ。

 イエスさまは神さまであられるのに、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、自らを低くして、十字架の死にまで従われました。それが神さまのご計画であることをヨハネの福音書を通して学べることを感謝します。どうか従順に従う謙虚さと、大胆に神さまの前に出ていく素直さを与えてください。イエスさまのお名前で祈ります。アーメン


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