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2022年7月8日 ディボーション

ヨハネの福音書 3章


『御霊によって』


 自分のこだわりを捨て、自己執着を断ち切ることではじめて、人は本当の意味で生かされる。主イエス・キリストを信じて洗礼を受けるということは、自分を捨てることだと私は思っている。

 自分を捨てるということは、自己表現よりも自己変革、自我の拡大ではなく自我の縮小、自分への関心や注目を、他者への関心や注目に変えることだと思う。


 しかし、肉の欲をもつ人間は、どうしても肉の歩みに引っ張られてしまう。自分の思うようにならないと人を責め、争い、憎む。人に見せるために人前で善行をし、陰では人の悪口を言い、不正をする。自分の罪を棚に上げ、他人の罪を裁きたがる。

 私は、相手の立場を考慮することができず、自分の気持ちを最優先する自分中心な人間だった。

 うまくいかないことを全部、誰かのせいにして生きてきたような気がする。

 

 神さまは、そんな罪まみれの私を裁くためではなく救うために、ひとり子イエスを遣わせてくださった。イエスさまが私の罪を背負って十字架にかかってくださり、私は救われ、水と御霊によって新しい者とされた。

「人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできません。」(5抜粋)

 神さまは、イエスさまの十字架を信じる者に、「御霊」という名の新しい着物と、神の国へのパスポートを与えてくださる。


 御霊は目には見えない。けれども、目には見えないけれど音が聞こえ、草花を揺らし、頬をなでてゆく風と同じように確かにそこにある。

「風は思いのままに吹きます。その音を聞いても、それがどこから来てどこへ行くのか分かりません。御霊によって生まれた者もみな、それと同じです。」(8)

 御霊によって生まれ、御霊によって歩む私たちが手にしている神の国へのパスポートは、更新する必要のない、永遠に有効な、神さまからの贈り物。


「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(16)


 永遠のいのちを与えてくださった天のお父様。

 風に吹かれている時、あなたに包まれている感じがします。心が安らぎます。あなたが吹かす風に身をまかせ、すべてをゆだねます。私たちを、御霊によって歩む者にしてくださった神さまの愛に感謝して祈ります。アーメン

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