ヨハネの福音書 17章
『すべての人を一つにしてください』
生まれ育った家庭環境や時代背景、国籍、通った学校、得意なこと得意でないこと、衣食住の好みや生活習慣、物事の捉え方、働き方、家族構成、すべてが違っている私たちは、その違いを理由に、互いに対立することが多々ある。
ひとつ屋根の下で暮らす夫婦や親子であっても、一つにまとまることは簡単ではない。ましてや他人同士が、違いの壁を乗り越え、お互いを尊重し、赦し、愛しあうことなど、不可能と言っても過言ではないだろう。
だからこそイエスさまは、すべての人を一つにしてください、と祈られたのだろうか。この17章でイエスさまは、目を天に向けて、父なる神に祈っておられる。
まず最初は、神の栄光が現されることを願う祈り。
「父よ、今、あなたご自身が御前でわたしの栄光を現してください。世界が始まる前に一緒に持っていたあの栄光を。」(5)
次に、弟子たちのための祈り。まもなく十字架の死を迎えるイエスさまは、自分が去った後も地上で生きる弟子たちを守ってください、と祈っておられる。
「わたしはもう世にいなくなります。彼らは世にいますが、わたしはあなたのもとに参ります。聖なる父よ、わたしに下さったあなたの御名によって、彼らをお守りください。わたしたちと同じように、彼らが一つになるためです。」(11)
弟子たちを大切に思って慈しんでおられるイエスさまの心情が伝わってくる。まだまだ助けを必要とする未熟な幼い子を残し、この世を去っていかなければならない親の思いとは、きっと、こんな感じなんだろうな。
最後は、主イエス・キリストを信じるすべての人々のための祈り。
「父よ、あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちのうちにいるようにしてください。あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるようになるためです。」(21)
天の父と、そのひとり子イエスとを結びつけている愛。
この愛の関係を信じる私たちは、天の父とイエスさまとを結びつけているきずなにつながることで、一つになる。
私たちは、一人一人が見事に違っている者同士なので、わかりあえないことが多い。責めたり、責められたり、傷つけたり、傷つけられたりする。
けれども、そんな私たちにも、一つだけ共通点がある。
それは、私たちは皆、イエスさまの愛によって救われ、罪が赦され、永遠のいのちが与えられ、一人の例外もなく神さまに愛されている、ということ。
このたった一つの共通点によって私たちは、天の父とイエスさまの愛の中に組み入れられ、一つにされる。
ホノルルキリスト教会は、毎週の礼拝で『わたしたちはひとつ』を賛美する。
”わたしたちはひとつ 愛のきずなにより 神の霊にみちびかれ わたしたちはひとつ 主イエスの名をほめよ くしきわざのゆえに 手をつなぎ この世に示せ わたしたちはひとつ”
私たちは、自分のとなりにいる人と手をつなげているだろうか。となりにいる人を避けていないだろうか。無視していないだろうか。軽蔑していないだろうか。
すでに神さまの愛を知って教会に集う私たちは、隣人と手をつなぐことで、まだ神さまの愛を知らない人に、愛を証しすることができるはず。
私は、愛のない家庭で育ち、愛の関係がどんな感じなのか全然わからず生きてきた。そんなものはこの世に存在するわけがないと思っていた。だけど、そんな自分でも、天の父とイエスさまの愛のきずなにしっかり結びつけられ、今、神さまに愛されている。そして、私も人を愛したいと願う人間になれた。神さまの愛に感謝して祈ります。
愛する天のお父様。今この時、あなたに祈れることが何よりの喜びです。教会に導かれる私たち一人一人が、手をつなぎあって、あなたの愛を世に示し、伝えてゆくことができますように。神さまの栄光を現してください。
主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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