2022年7月2日 ディボーション

イザヤ書63章


『待ち望め主を!』


 あと少しで、難解だったイザヤ書通読が終わる。ちんぷんかんぷんで、解説書を読んでも旧約の歴史を我が事のように思えなくて投げ出したくなった。イエスさま預言だけ、拾い読みしているフシもあった。

 でも後半になって、警告や裁きや滅亡の預言だけでなく、その後の希望や慰めが語られ始めると、みことばを自分ごととして受け取れるようになった。現金なものである。

 そして気がついた。イザヤ書は神さまとの和解と平和の長編物語なんだと。私はウクライナを祈りながらイザヤ書のみことばに励まされ、希望を手にすることができた。主はウクライナに語りかけている。

「主は言われた。「まことに、彼らはわたしの民、偽りのない子たちだ」と。こうして主は彼らの救い主になられた。彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、主の臨在の御使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって、主は彼らを贖い、昔からずっと彼らを背負い、担ってくださった。」(8、9節)

「彼らが苦しむときには、いつも主も苦し」んでいるのだ。苦悩したり、試練や危険や病の中にいると、一番辛いのは自分一人だと思いがちだけれど、神さまも痛みを感じて一緒に苦しんでいてくださる。

 去年、霊的成熟のクラスを受けていた際、義(裁き)の神と、愛(赦し)の神が十字架で統合されたことを学んだ。その時エレミア4:19冒頭の「私のはらわた、私のはらわたよ、私は悶える。」という聖句を引き、思いを巡らした。

 共に苦しみ悶えてくださる十字架のインマヌエルは、形而上的あるいは神秘的な神人の一致なんかではなく、真実に私たちと共にいてくださる御方なのだ。パスターは北森嘉藏”神の痛みの神学”という本も教えてくれた。

 上記9節の「主の臨在の御使い」とは聖霊のことで、神さまは痛みを共にしながら、慰め主である聖霊を私たちに遣わしてくださった。聖霊はこれまで受けたたくさんの恵みを気づかせてくれる。恵みに気づけば、待ち望むことができる。

 ただし。気づいておしまいではなく、ちゃんと行いで示せよ、私。


 63章は預言者としてだけではなく、祈り人としてのイザヤが本領発揮する。15節からのとりなしの祈りは圧巻だ。

「あなたの熱心と力あるわざは、どこにあるのでしょう。私へのたぎる思いとあわれみを、あなたは抑えておられるのですか。」(15節抜粋)

 神さまへ迫る。圧を感じるほどに。

 聖書の下の注釈を引くと、「私へのたぎる思い〜」はエレミア31:20「わたしのはらわたは彼のためにわななき〜」とある。こっちも”神の痛みの神学”のようです。


 聖書通読、今日で丸2年、3年めを迎えます。読者の皆さん、シェアしてくださってありがとうございます。よちよち歩きで未熟ですが、みことばのバトンを絶やさないよう、細く長くつなげられますよう、祈ってくださると感謝です。

 神さま、インマヌエル。苦しみの時も喜びの時も共にいてくださってありがとうございます。

「あなたのみことばは 私の足のともしび 私の道の光です。」(詩119:105)

 いつもいかなる時も足元をともして支えてくださっている神さま。進むべき道を光で導いてくださっている神さま。慈しみ深い愛をありがとうございます。待ち望む従順さを与えてください。みことばを一つでも多く実行できるよう、これからも励ましてください。

 イエスさまのお名前で感謝して祈ります。アーメン

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