ヨハネの福音書13章
『互いに仕え合う』
「わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、あなたがたに模範を示したのです。」(15)
過ぎ越しの祭りの前日、最後の晩餐にて、イエスは上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとい、愛する弟子たちの足を洗われた(1-14)。
この弟子たちの中には、ユダも入っていることに注目したい。イエスはこの時、ユダが裏切り者であることを知っておられた(2-3)。しかしそれとは関係なく、しもべのように仕えることの模範を示されたのである。
イエスが弟子たちに、このことを通して伝えたかったことは、互いに対して謙遜であること、そして、主がなされることに対して疑問をもたず、従順に従うこと、だったのではないかと思う。
当時、旅人の足を洗う仕事はしもべの役目であった。どの旅人の足を洗うかといった選択肢がしもべにあったわけではない。しもべは、主人が言われる通りに従い、誰の足でも洗ったのである。だから、足を洗う、という行為からは、仕える姿勢、また、主人の命令に従うという従順さを学ぶことができる。
しかし、一方的に仕えよと、イエスは命じたわけではない。イエスは、「主であり、師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのであれば、あなたがたもまた、互いに足を洗い合わなければなりません。」と言われたのである。
またイエスは、ルカの福音書でこのように言われた。
「異邦人の王たちは人々を支配し、また人々に対し権威を持つ者は守護者と呼ばれています。しかし、あなたがたは、そうであってはいけません。あなた方の間で一番偉い人は、一番若い者のようになりなさい。上に立つ人は、給仕する者のようになりなさい。」(ルカ22:25-26)
私たちが仕え合うと、同時に、神に仕えることになる。同じように、私たちが愛し合うと、神を愛することになる。私たちの行為は、すべて神への行為につながることを覚えたい。
祈り:愛する天のお父さま。仕え合うことの大切さを教えてくださり、ありがとうございます。どうか、みこころにあって、仕え合うこと、愛し合うことを更に、更に、深く知ることができますように、みちびいてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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