イザヤ書 39章
高慢になったヒゼキヤ王
ヒゼキヤ王が病気から快復したことを知ったバビロンの王メロダク・バルアダンは使者を遣わして、手紙と贈り物を届けた。ヒゼキヤ王は遣いの者達を喜んで、自分の金銀財宝、武器や武器庫など国中にあるもの全てを彼らにみせたのである。これは、ヒゼキヤ王の自慢のあらわれであったのだ。自分がいかに力があり、優れているかをみせびらかしたのである。
ヨハネの手紙第一 2:16「すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢は、御父から出るものではなく、世から出るものだからです。」
38章でヒゼキヤ王はあれほど大声で泣いて、主に祈って、主の憐れみによって15年の寿命を頂き、さらにアッシリアから自分やエルサレムを守って下さったのに、病気が快復すると高慢になって、神の憐れみに対して、恩を仇でかえすようなことをしたのである。まさにサタンの誘惑である。
思い浮かんでくるのはソロモン王、神さまから知恵を与えられて愛されていたのに、最後は多くの妻やそばめを得て、彼らの偶像礼拝をおこなうようになったのだ。他にも、ウジヤ王、アサ王、イサク達もそうだった。これらの王や父祖の行動をみて、信仰の落とし穴は、神さまによって苦しい状況から救われたあとにやってくるということである。自分自身にも十分に起こりうることである。自分が成し遂げたと思い高慢におちいりやすい誘惑はいつでもあるから。
3節からイザヤとの問答で、「万軍の主のことばをききなさい。」とヒゼキヤ王に言った。その内容は、あなたは大きな罪をおかした。あなたがバビロンの遣い人達にみせた金銀財宝、武器や武器庫、国中にあるすべてのものはバビロンに没収される。王宮にはなにも残らず、又、あなたの息子たちの中には、バビロンの宮殿に連れていかれて奴隷にされる。と言った。それに対して、ヒゼキヤ王は、「あなたが助けてくれた主のことばはありがたい。」と、見当違いの答えをしたのだ。愛する自分の息子たちがバビロンにつれていかれて奴隷になるということを知ったら、神に向かって悔い改めの祈りをすべきことではなかったのだろうか。
愛する天の父なる神さま。
ヒゼキヤ王が最後まで神さまと共に走り続けることはできませんでした。このことを通して、すべては、主なる神さまからきていること、主が背後でお働きになられているということを忘れずにあなたと共に歩くことができますように助けて下さい。感謝して主イエスキリストの御名によってお祈りします。アーメン
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