イザヤ書38章
「霊のいのち」
イザヤが仕えた南ユダの王は、初めに良い王ウジヤから続くヨタム、アハズは悪王、ヒゼキヤは良い王として知られる、南王国に比べて北王国になるとほとんどは悪王であった。今日の箇所はこの南王国ヒゼキア王の話です。
ヒゼキアの名前はヘブル語で「神によって強くされる」。そうして名前の通りに死の病気からさらに15年の寿命を加えてもらえた。
イザヤ38章16節「主よ、これらによって人は生きるのです。私の霊のいのちも、すべてこれらに従っています。どうか私を健やかにし、私を生かしてください。」
ここでの霊のいのちとは何か、黙想しました。
まず人の構造は単純に考えると肉体とこの肉を支配する心の二つがあって、心には創造力や泣き笑いする感情などの源となります。ところが聖書には単に人は肉体と心だけではない言う。身体の中に心があるが、心の中にはさらに霊があると言うのです。
ちょうど良い実例を聖書の天幕に思います。天幕には外庭と天幕に覆われた聖所と至聖所があります。その天幕の中心である至聖所が神と繋がる神聖な場所であるように、我々の心の中にある霊は天の霊界と繋がる場所です。天幕の外庭は外の世界と繋がる場所で、我々の肉体の部分だと思って下さい。そうして霊を持って神と交わる至聖所は聖所である心の中にあります。身体は外庭であれば心は聖所であって、さらに聖所の中に最も神聖な至聖所があり、これが我々の霊に当たると思うのです。
残念ながら人は神を知らずに心の中にあるこの霊感を目覚ます事が出来ない。心の鍛錬とはこの霊を目覚ます訓練です。神のことばで初めて盲目の者が目を開けて世界を見るように、霊の眼が開けられる。このように考えると例えば人の救いにはまず至聖所である私の霊が救われ、霊が鍛錬されてやがて聖所の心が清められ、最後の完成に永遠の身体が与えられる。この霊のいのちは神によって決められた寿命があるのです。ヒゼキア王はこの霊のいのちを15年伸ばして頂いたわけです。
確認のため人は肉(からだ)と心(たましい)と霊で成りたっていると確かに聖書にあります。テサロニケ人への手紙 第一5章23節「平和の神ご自身が、あなたがたを完全に聖なるものとしてくださいますように。あなたがたの霊、たましい、からだのすべてが、私たちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのないものとして保たれていますように。」 ここで示されている魂は、我々のSoulの事なので自分は単純に心と理解します。
さて私の心の中にある霊は、肉である身体が滅んでも永遠に生きる存在と単純に考えていました。確かにに聖書にはそのように考えられる箇所も有りますが、同時に霊が宿っている魂(心)が死ぬともあります。心が死ぬとはどういうことかと言うと、エゼキエル書18章4節。「見よ、すべてのたましいは、わたしのもの。父のたましいも子のたましいも、わたしのもの。罪を犯したたましいが死ぬ」
旧約聖書では罪=心、魂の死です。罪を犯すと霊が宿っている魂(心)が死んでゆくと言うのです。心がひからびてしまうのでしょうか。ここでのたましい(心)の救いは悔い改めて神の目に正しい行いをする事にかかっています。我々は罪を犯します、しかしこの罪を犯し続けるとやがて心が死んでしまうことも確かです。
霊のある至聖所と言えば、主イエスが十字架にかかって亡くなった時に、エルサレム神殿では聖所と至聖所を分ける神殿の幕が神の手によって引き裂かれるように、上から下まで真っ二つに裂かれました。今までは年に一度の大祭司による至聖所での祈りが主イエスを信じる事によっていつでも天なる神へ近づくことができるようにして下さった象徴的な出来事でした。
テモテへの手紙 第二1章10節「今、私たちの救い主キリスト・イエスの現れによって明らかにされました。キリストは死を滅ぼし、福音によっていのちと不滅を明らかに示されたのです。」
ヨハネの手紙 第一5章12節「御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。」
今日のデボーションは霊が癒されたイザヤ38章から黙想して、霊のいのちを考える事になってしまいましたが、神は福音をもって眠れる霊を起こしてくださり、御子イエスを信じる信仰によって、心をきよめ、永遠の身体を与えてくださる。これはキリスト教の奥義です。
ヨハネ福音書17章3節「永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです。」
祈り
主よ、神のみことばは生きており、どのような剣よりも鋭く力を発揮されることに畏れを覚えますが、主は真実な方であり柔和な方であることに感謝致します。どうか悔い改めによって私の不純を切り取り、従順な心と造り変えて、きよめ てくださり永遠の身体へと救いを完成してください。キリストの再臨の時に責められる者となりませんように、みことばで眠気を覚まして下さい。主イエスの御名によって祈ります。アーメン
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