2022年6月30日 ディボーション

イザヤ書61章


「時Time」


 皆さんは「最近時間が経つのが早い」と感じたことはありますか?楽しいことをしている時? 子どもの成長を見る時?

 私は以前犬を飼っていた。父なる神様、御子なるイエス・キリストそしてイエス様なきあと吹き込まれる聖霊様、この三位一体の神様から洗礼を授かる前のことだった。仔犬の成長は早く人間の1年が7年に値すると言われている。犬や猫は子どもが小さい頃に飼い始めると、小さい頃は友達として一緒に遊んでくれる、多感なティーンで心も身体も変化を遂げる頃も寄り添ってくれて、青年期にこの世を去り命の大切さを教えてくれるという。親バカとお笑い下さい、私は自分の犬に滴水洗礼を行った。身体が滅びてからもずーっと天で一緒の時間を過ごしたいと思ったから。

 私たちの神様は私たちが生まれてから、いや生まれる前から死ぬまで、そして身体が滅びても永遠に共にいて下さる。と同じく一定普遍そして不変です。時間は一定不変のものなので私が過ごす時間だけが早く過ぎる、ということはない。犬と人間の時間のように、神様の時間と私たち人間の時間はもしかして違う、という考えが浮かんだ。確かに高い所から軽い物と重い物を同時に落としてみると引力と加速度により重いものの方が先に着地する。それは物だからである。時間はそれでも一定不変である。


 このイザヤ書の時代にはまだイエス様はおられなかったが、1節で「主は私に油を注ぎ」とあるように、油注がれた者=イエス様の登場が預言されている。

 さて、2節に今日は注目したい。「主の恵みのと。われわれの神の復讐のを告げ、全ての悲しむものを慰め」えっ、神様復讐されるんだ、と衝撃を受けネットで調べたところ、恵みの年とはイエス様が最初に現れた時から今までの時間で、復讐の日とはイエス様が再臨される将来のことをいっているとの解説があって、ほっとした。イエス様が聖霊を注がれている現在は恵みの時代に当たる。はぁ、なるほど。既に2千年以上続いている。すごく長いと感じるが神様からしてみれば1日かもしれない。

 注目したい点は2節で言われている「主の恵みのと復讐の」である。では時間の長さが全然違う。恵みの年は長く続き復讐の日は1日? 詩篇103:8、9に

 「主は あわれみ深く 情け深い。

 怒るのに遅く 恵み豊かである。

 主は いつまでも争ってはおられない。

 とこしえに 怒ってはおられない。」

 とある。大変ありがたいことだ。(涙)


 母が亡くなる前によく言っていた言葉がある。「泣いて過ごすのも笑って過ごすのも同じ時間。あなたに泣き顔は似合わない。同じ時間を過ごすのだから、いつも笑って時間を過ごしなさい」母はクリスチャンではありませんでしたが、この言葉に何度助けられたことか。


祈り:

 天の父なるわれらの神様、日々の恵みと与えらている時間に感謝します。怒るのに遅いのはあなただけです。長くマイナス感情を閉じ込めている人はいっぱいいます。肉である私は小さなことに一喜一憂し世間や人を気にしては心配したり怒ったりしています。でも日々内なる聖霊様により洗い流して頂いて感謝です。この恵みの時代、1日ずつ与えられた時間を大切に生きていけますように。辛いこと嫌なことがあっても必ず将来の益に変えて下さるというあなたの約束に信頼します。あなたの恵みを恵みとして素直に受け取れる者とさせて下さい。まだイエス・キリストというおかたをご存知でない方がいらしたら、この御子によってもたらされたとてつもなく大きな恵みに気づく機会をそれぞれに適したに与えて下さい。尊い御子イエス・キリストの名によりお祈りします。アーメン

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