イザヤ書 34章
神様は、「主の復讐の日」にエドムを大虐殺する。エドムとは、エサウの子孫の総称。創世記25章で、エサウは迂闊にも、双子の弟ヤコブに長子の権利を売ってしまう。そのことでエサウは弟ヤコブを恨み続け、殺意を抱く。
エドムのことは、オバデヤ書にも書かれている。
「おまえの兄弟、ヤコブへの暴虐のために、恥がおまえをおおい、おまえは永遠に断たれる。」(オバデヤ10節)
弟ヤコブの子孫は、神に選ばれた民イスラエルとなり、兄エサウの子孫は、神に背く民エドムとなる。
神様はエドムを聖絶すると定め、むごい方法で滅ぼす。エドムは廃墟と化した地となり、人が住めなくなって荒れ果てる。
エドムは、私たちの姿でもある。
世の中には、乱暴で冷酷、荒々しい振る舞いで人を苦しめる人間がいる。そのような暴虐な人間を恨み、復讐心に燃え、いつまでも敵対しつづける人間がいる。
どちら側の人間も正しくない。愛のない高慢な生き方は、決して人を幸せにしない。人を裁く者は、神に裁かれる。その存在が成り立たなくなる日がやって来る。
悪行・悪心の行き着く先は、エドムの地と同じく、破滅である。私たち神の家族は、エドムのようになってはいけない。
私たちには、信条や国家、民族や習俗を問わず、あらゆる人々と平和に仲良く暮らせるように努力する責任がある。天の父が、それを切に望んでおられるのだから。
復讐ではなく、和を結ぶ者であるためには、どうすればいいのだろう。
「主の書物を調べて読め。」(16節抜粋)
どのように生きればよいかがわからない時、愛せない時、赦せない時、私たちの主に尋ね求めよう。神様は、きっと答えてくださる。
「求めなさい。そうすれば、与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。」(マタイ7章7節)
愛する天のお父様。みことばを感謝します。私たちが人生に迷ったとき、復讐の道ではなく、愛をもって隣人を赦し、人を喜ばせる道を選択することができますように。私たち人類が正しい道に向かって歩むことができますように。
主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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