2022年6月27日 ディボーション

イザヤ書58章


『私の心を知る神』

「見よ、お前たちは断食しながら争いといさかいを起こし、神に逆らって、こぶしを振るう。お前たちが今しているような断食によっては、お前たちの声が天で聞かれることはない。」(4章、新共同訳聖書より)

 イスラエルの民がしていた断食は、神が喜ばれるものではなかった。しかも彼らは、恐れ多くも、「なぜあなたは、私たちが断食したのに、ご覧にならず、自らを戒めたのに、認めてくださらないのですか。」(3)と神を糾弾している。

 聖書における断食は、祝福をもたらすものである。しかし、祝福を求めて断食をするなら神は喜ばれない。なぜなら断食は、あくまでも神と本人との関係であり、したくもない隣人に強制してやらせるものでもなければ、それを人前に知らせて誇るものでもないからである。心からの悔い改めと祈りによる断食こそ、神は喜ばれるのである。

 

 たとえば、私たちは助けてもらったら「ありがとう」という感謝を表すことが良いことだと知っている。しかし、「ありがとう」と言われないことに腹を立てるなら、それは感謝されることを期待して、良いことをしていることになる。

 イスラエルの民が行った断食もそうであった。断食は、良いものである。しかし、断食をすれば、祝福される、恵みがいただける、という思いからの断食を、神は喜ばれなかったのである。


神は言われた。「わたしの好む断食とはこれではないか。悪の束縛を解き、くびきの縄目をほどき、虐げられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くことではない。飢えた者にあなたのパンを分け与え、家のない貧しい人々を家に入れ、裸の人を見てこれに着せ、あなたの肉親を顧みることではないか。」(6-7)

 このような積極的な愛の実践こそ神は喜ばれ、あなたの光が暁のように輝き出て、あなたの回復は速やかに起こる。そして、あなたの義はあなたの前を進み、主の栄光があなたのしんがりとなる、と言われた。(8要約)

 また、あなたの間から、くびきを除き去り、虐げの指をさすことや、邪悪な言葉を取り去り、飢えた者に心を配り、苦しむ者の願いを満たすなら、あなたの光は闇の中に輝き上り、あなたの暗闇は真昼のようになる、と言われた。(9-10要約)

さらには、「主は絶えずあなたを導いて、焼けつく土地でも食欲を満たし、骨を強くする。あなたは、潤された園のように、水の枯れない水源のようになる。」(11)と言われた。

 自分では、神に従っているつもりでも、心では高慢になり、神に栄光を帰する前に、自分自身の評価を期待したり、見返りを求めていることがある。しかし、そのような思いを、神は、すべて、ご存じなのである。

「見よ、お前たちは断食しながら争いといさかいを起こし、神に逆らって、こぶしを振るう。お前たちが今しているような断食によっては、お前たちの声が天で聞かれることはない。」(4章、新共同訳聖書より)

 神の命令に従いながら、それが神の栄光以外の何ものかを求めるとき、この聖句を思い出したい。

 祈り:愛する天のお父さま。みこころにかなう行いとなるよう、どうか私の中からすべての邪悪な思いを取り去ってくださいますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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