top of page
hccnichigo

2022年6月25日 ディボーション

イザヤ書56章


『あらゆる民の祈りの家』


 56章をざあっと読むと、55章までとは趣が違うように感じる。安息日のことが出てくる。宦官って誰だっけ? という人も出てくる。でもゆっくり読み直してみると、そうでもないのかもしれない。

「主はこう言われる。公正を守り、正義を行え。わたしの救いが来るのは近いからだ。私の義が現れるのも。」(56:1節)

 この聖句は、アプローチこそ違うけれど、前の55:6、7とおんなじ意味合いだ。「御心を行いなさい。実生活の中で、あなたらしくみことばを行いなさい。救い(御国)が来るのはすでに決まっていることだから、素直に主に従いなさい。」

 ただ55:7の表現は、同じ意味でも私には美しく胸に迫る。

「主に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。」

 好きだなあ、このみことば。ディボーションは日々前に読み進むけれど、進むことで、過ぎ去ったみことばに気づき、引き返してもう一度味わうことができる。聖書は深い。底なしだ。

 そして56章でも、久しぶりに大大大好きなみことばが登場した。

「幸いなことよ。」(2節抜粋)

 詩篇では何回も出てきた感嘆詞。幸せになりなさいというのではなく、恵みや祝福はすでにあるのですよ、と気づかせてくださるみことば。安息日は「幸いなことよ。」と、日がな一日のんびり感謝して過ごす日でありたい。

 そして主の名を愛する人は、異国の民であっても、門戸を開けて招かれる。

「なぜならわたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれるからだ。」(7節抜粋)

 祈りの家の教会はサンクチュアリ。中世まで、教会は法律などの力の及ばない、文字通り聖域だった。HCC は新来者に恵まれて毎週のように新しい祈り人が訪れてくれる。その方達が、安心して祈れる家だろうか? 神さまの御翼に守られて、祈りながら憩いながら安息の聖日をを過ごしてくれているだろうか。

 神さま今日もみことばをありがとうございます。公正を守り、正義を行うのは簡単ではありませんが、みことばの励ましを感謝します。

 安心して自分の心を注ぎ出せる場を求めている人が大勢います。神さまに創られた人間は、祈りたい本能が授けられています。どうかHCCが、あらゆる民の祈りの家として用いられますよう私たちを整えてください。イエスさまのお名前で祈ります。アーメン

 

閲覧数:47回0件のコメント

最新記事

すべて表示

2022年12月31日 ディボーション

ダニエル書 9章 『御心ならば』 ダニエルはエレミヤの預言により、捕囚が70年間であることを知り、あと3年でその期間が終わることを悟った。と同時に、同胞が犯してきた罪に思いを巡らせた。イスラエルの民が幾度となく神さまを裏切ったこと、偶像崇拝で聖都を汚したこと、エルサレム神殿...

2022年12月29日 ディボーション

ダニエル書7章 『ダニエルの見た夢』 ダニエルの見た夢は、4頭の大きな獣であった。2章でネブカドネツァル王が見た像の夢と似通った幻である。第1の獣は獅子のようなもの、第2の獣は熊に似たもの、第3の獣は豹ににたもの、そして第4の獣は大きな鉄の牙を持った恐ろしく不気味なものであ...

2022年12月26日 ディボーション

ダニエル書4章 『聖霊によって変えていただく』 アイゾン直子 ネブカドネツァル王は、数々の奇跡を目の当たりにした結果、イスラエルの神を褒めたたえるようになりました。しかし、唯一の神として認めることはできませんでした。彼は自分が神に等しい者と思っていたのかもしれません。そんな...

تعليقات


bottom of page