2022年6月24日 ディボーション 

イザヤ書 55章


 自分について、私たちは一体どれほどのことを知っているのだろう。

 自分探しの旅に出たり、自分の性格を分析したり、機会あるごとに自分について語ったりする我々は、自分のことは自分が一番よく知っていると思っている。本当にそうなのだろうか。

「自分は繊細で傷つきやすい人間だ」と言っている「傷つきやすい」人が、誰かをずたずたに傷つけるのを、私はこれまでに何度も見てきた。

「自分はバイタリティーあふれる強い人間だ」と語っていた「タフ」な人が、些細なことでつまずき、生きる力を失い、自ら命を絶ってしまったのも見た。


 表面にはっきりと表れないので自覚することはなくても、心の奥深い層にひそみ隠れている意識が、行動や考え方に大きな影響を与えることがある。

 実のところ我々は、自分のことをあまりわかっていないのかもしれない。だからこそ、悩んだり落ち込んだり思い煩ったりする。おまけに、往々にして間違った選択をしてしまい、悪循環から抜け出せなくなることだってある。

 そんな迷える私たち人間に、神さまはこう呼びかけてくださる。

「渇いている者はみな、水を求めて出て来るがよい。」(1節抜粋) 

「わたしによく聞き従い、良いものを食べよ。」(2節抜粋)

 真理を求めて神さまの前に出る。そうすれば神さまは無条件でみことばをくださる。それは人間にとって良いもの。だから、耳を傾けて聞き、みことばを咀嚼する。

「そうすれば、あなたがたは生きる。」(3節抜粋)


 人によっては、過去の失敗を恥じる気持ちが強すぎて、なかなか神さまの前に自分をさらけ出せないということがあるかもしれない。自分みたいな人間は赦してもらう資格がないと感じてしまう人がいるかもしれない。

 でも大丈夫。神さまは「豊かに赦してくださるから。」(7節抜粋)

 なぜなら、「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、あなたがたの道は、わたしの道と異なるからだ。 —主のことば—  天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」(8、9節)

 天上の高いところから俯瞰する神さまは、私たちが何を考え、どのような動機で行動し、心の奥底で何を感じているかをすべて見ておられる。私たちの心の渇き、満たされない思いを全部知っていてくださる。私にとって、そのことが大きな喜びです。


 愛する天のお父さま。あなたの無償の愛によって豊かに赦された私たちが、どんなときでも上におられる主を見上げて進むことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン


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