2022年6月13日 ディボーション

イザヤ書44章


『主のみを恐れる』

「今、聞け。わたしのしもべヤコブ、私の選んだイスラエルよ。あなたを造り、あなたの母の胎内にいるときから形造り、あなたを助ける主はこう言う。恐れるな。わたしのしもべヤコブ、わたしの選んだエシュルンよ。わたしは潤いのない地に水を注ぎ、乾いたところに豊かな流れを注ぎ、わたしの霊をあなたの子孫に、わたしの祝福をあなたの末裔に注ぐ。彼らは流れのほとりの柳の木のように、青草の間に芽生える。」(1‐4)

 イザヤは、将来、捕囚の地にいるであろうイスラエルの民に対して、希望のメッセージを届ける。主は民に向かって、乾いた地に注がれる水、主の豊かな恵みによって、必ずイスラエルを再生すると約束される。このお方は、彼らが母の胎内にいる前から、彼らを知り、彼らを助け、守られるお方、だから「恐れるな。」と言われる。

 恐れるな、という言葉は旧約聖書に少なくとも39回は出てくるという。うち14回はイザヤ書にあるらしく、それだけ、イスラエルの民に用意された未来は過酷だということを思い知らされる。

 

 イザヤは、希望を失うような状況にあっても、全知全能であられる神が共におられるから恐れるな、と民に語り続けた。そしてこの励ましは、今を生きる私たちにとっても心強い励ましである。

 

 人間に、未来を垣間見ることは許されていない。だから、見えないこと、予想できないことに、私たちはおびえ、不安になる。私自身も、家族のことや、生活のことなど、これからどうなるのか、と考え始めると不安が止まらなくなる。

 しかし、

イスラエルの王である主、これを贖う方、万軍の主は言われる。わたしは初めであり、わたしは終わりである。わたしのほかに神はいない。わたしが永遠の民を起こしたときから、だれが、わたしのように宣言して、これを告げることができたか。これをわたしの前で、並べ立ててみよ。彼らに未来のこと、来るべきことを告げさせてみよ。おののくな、恐れるな。わたしが、以前からあなたに聞かせ、告げてきたではないか。あなたがたはわたしの証人。わたしのほかに神があるか。ほかに岩はない。わたしは知らない。偶像を造る者はみな、空しい。彼らが慕うものは何に役にも立たない。それら自身が彼らの証人だ。見ることも出来ず、知ることもできない。彼らはただ恥を見るだけだ。誰が神を造り、偶像を鋳たのか。何の役にも立たないものを。」(6‐10)

 主を恐れることは知恵の初め(箴言9:10)とある。それ以外のものは、何一つ、恐れる必要はないことを覚えたい。

 私たちを形造られたお方、この世のすべてを支配しておられるお方を、畏敬の念をもって正しく恐れ、みことばに倣う生活を心がけたい。

 

祈り: 愛する天のお父様。あなただけを恐れ、その他の何ものにも、心揺るがされることのないよう、お守りください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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