2022年5月9日 ディボーション

イザヤ9章


『みことばは光』

「しかし、苦しみのあったところに闇がなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は辱めを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダンの川向こう、異邦の民のガリラヤは栄誉を受ける。闇の中を歩んでいた民は、大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が輝く。」(1−2)

 力強いみことばに感動を覚える。預言者とは、神から預けられたことばを語る人たちのことである。だからこそ、彼らのことばには力強さがあり、不安や恐れなどといった不確かさは微塵もない。

 時に、私たちも神からみことばを預かることがある。信仰生活の長短に関わらず、神は人を通して、必要なみことばを伝えようとされる。

 私はごく最近、その体験をした。私はあることに対して、非常に強い不安に襲われてしまって、不安は不信仰のあらわれであると分かっていながらも、どうしてもその不安の中から抜け出せないでいた。不安で仕方がないから、自信のないことばかりを口にする私に、いつもは穏やかな主人が「信仰に固く立て!」と強く言い放った。

 私は主人の言葉に、目が開かれた思いであったが、弱い私はそれでも不安から抜け出すことはできなかった。


 それでも主人を通して語られたみことばは、私の心の奥深くに根付いていて、毎日の聖書朗読や日曜の礼拝メッセージなどを通して、繰り返し、繰り返し、与えられ続け、私を励まし続けた。


 そしてある朝、詩篇37篇4節の聖句が私の身に起こり、不安は見事に解消されたのである。

 私の信仰は、まだまだ不安や恐れといった負の感情に左右されてしまう弱い信仰である。しかし、そのような信仰であったとしても、神は見放さず、捨て置かないで、励まし続けてくださる。私の信仰の的が、きちんと元に戻るまで、何百回でも何千回でも、みことばを与え続けてくださる。

「あなたのみことばは 私の足のともしび 私の道の光です。」

(詩篇119篇105節)

祈り:愛する天の父よ。あなたのみことばは、私を導く光です。みことばに固く立つ信仰によって、世の誘惑に勝利していくことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

閲覧数:31回

最新記事

すべて表示

ヨハネの福音書 5章 ベテスダの池で病人に声をかけられるイエス。「良くなりたいか。」6節 (一部抜粋) イエスさまが、エルサレムに上ってこられた時にベテスダと呼ばれる癒しの池で38年間も病に苦しんできた人を癒やした時の、イエスさまと病んでいる人との会話に考えさせられた。 「イエスは彼が横になっているのを見て、すでに長い間そうしていることを知ると、彼に言われた。「良くなりたいか。」病人は答えた。「主

イザヤ書66章 『終末での出来事』 イザヤ書の最後となったこの66章を読み比べると、聖書全体の締めくくりの66巻目である黙示録の臭いがする。 22節「わたしが造る新しい天と新しい地が、わたしの前にいつまでも続くのと同じように、ー主のことばー あなたがたの子孫とあなたがたの名もいつまでも続く。」 ここには黙示録と同じように新天新地が示されていますが、ここでの対象は黙示録のように全ての人ではなく、限ら

イザヤ書65章 『わたしはここだ』 「わたしを尋ねなかった者たちに、わたしは尋ね求められ、わたしを探さなかった者たちに、わたしは見出された。わたしの名を呼び求めなかった国民に向かって、『わたしはここだ、わたしはここだ』と言った。」(1) 1節にある「わたしを尋ねなかった者たち」「わたしを探さなかった者たち」と「わたしの名を呼び求めなかった国民」とは、異邦人のことである。イスラエルの民が神に逆らい続