イザヤ書31章
「2大国に挟まれて」
北王国イスラエルはホセア王の時代、紀元前722年にすでにアッシリア帝国によって滅ぼされました。南王国ユダも風前の灯、北のアッシリア帝国と南のエジプト王国に挟まれるようにして、いつ敵が攻め込んでくるか、アハズ王からヒゼキア王までだれに助けを求めたら良いか迷っている地方の小国が、歴史的背景にあります。このような時に南王国ヒゼキア王はエルサレム城壁をアッシリアの攻撃を予想して守るための弱点であった水源を確保するためにギホンの泉から525メートルの地下道を掘った事でも知られています。
そうしてヒゼキアは紀元前705年にアッシリア王サルゴン2世が戦死した時に、これが好機とエジプト第25王朝シャバカに取り入りイザヤが「死の契約」と呼ぶエジプトとの契約をしてこのユダヤ王国を守り抜こうとしたのです。私達がもしも小国のリーダーで2大国に挟まれていたら、生き延びるためにどちらかを選ぶことを考えることでしょう。しかしイスラエル民族は神に選ばれた民です。31章6節「帰れ、イスラエルの子らよ、あなたが反抗を強めているその方のもとに。」と悔い改めを求められているのです。
大国と小国と言えば、毎日ウクライナの戦況が報じられますが大国ロシアの横暴で自国の民を失う姿は、イザヤ時代のユダヤ人の苦悩する姿のようです。日本も決して他人事ではありません、ロシアとアメリカ、もしくは北朝鮮と中国の脅威に囲まれています。韓国や台湾はもっと戦争の現実味があるのかもしれません。そんな日本は鎌倉時代、1274年と1281年に2度にわたって数万人の兵士が朝鮮半島から九州へ攻め込んできた蒙古襲来の記録があります。その時の台風で救われて神風と言う言葉が産まれてきました。神の風で助かった歴史があります。
さてイザヤ王のエジプトを頼る策略は成功せずに、やがてエルサレムはアッシリア軍に囲まれてしまいます。列王記第二18〜19章にアッシリアのラブ・シャケ将軍がエルサレム城の前でヒゼキア王とユダヤの神を揶揄する姿が描かれています。列王記第二18章19節「ラブ・シャケルは彼らに言った。「ヒゼキヤに伝えよ。大王、アッシリアの王がこう言っておられる。『いったい、おまえは何に拠り頼んでおんいるのか。」この時ラブ、シャケはユダ王国内の46都市を制圧した後に18万5千人の兵を率いて首都エルサレムを囲むでいるのです。絶対絶命とはこの事です。私たちも出口が見えない絶望感にいる時に、囁かれるのは「一体あなたは何を頼っているのか?」と主に対する疑いが心の隅に起こってくるのです。
イザヤはこれまでも繰り返して主のことばを伝えます。3節「エジプト人は人間であって神ではなく、彼らの馬も肉であって霊ではない。主が御手を伸ばされると、助ける者はつまずき、助けられる者は倒れて、皆ともに滅び果てる。」すでに紀元前701年エジプト軍はアッシリア軍に大敗しました、そうして今はエルサレムが北王国のようにアッシリアの残酷な手で襲い掛かろうとするその時です。8節「『アッシリアは人のものでない剣に倒れ、人間のものでない剣が彼らを食い尽くす。アッシリアは剣城の前から逃げ、若い男たちは苦役に服する。」エルサレムを囲んでいたアッシリア軍18万5千人の兵士たちは一夜のうちに、神風のように主の剣にかかって倒れたのです。そしてこれは将来に起こるハルマゲドンの闘いの予兆でもあると思います。
実に黙示録19章にはハルマゲドンの闘いの様子が描かれている、白い馬に乗った主イエスが神に反逆した悪霊や王達を義をもって裁く、神の激しい憤りのぶどうの踏み場となる、この場面もアッシリア軍を一夜にして倒した預言者イザヤのビジョンに繋がっているようです。
恐ろしい審判の話ばかり続きますが、希望の書となるのも間近です。イザヤ書全体を見回すと1章から39章までは、律法に不従順であるイスラエル民族への審判、つまり神の義が描かれていて、これはイザヤがやがて来るバビロン捕囚前の世代、同世代のユダヤの民に悔い改めか裁きかを訴えかける章で、神の裁きの預言が中心です。しかしこれから始まろうとする40章以下66章までは、今度は次の世代、バビロン捕囚を経験して苦難の中にいる、これからのユダヤの民に向かって希望を語る書に移っていきます。40章からは神から人への恵みの章となる事を覚えておきましょう。主イエスも多く引用されたのは40章以下のイザヤ書でした。
さて私たちの教会聖句でもあるエレミア書29章11節には「わたし自身、あなたがのために立てている計画をよく知っているー主のことばー。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」まず神の義が示され、次に神の恵み、希望が見えてきます。
祈り
この世では悲惨な戦争の姿を見ます。何のためにと問いかける毎日ですが、主が私達のために立てておられる計画は平安と希望を与える計画であることに感謝して主の栄光を讃え、たとえ辛い時にも讃えます。虐げられている民に希望をお与え下さい。アーメン
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