イザヤ23章
『謙遜を身に付ける』
「だれが、王冠を戴くツロに対してこれを図ったのか。その商人は君主たちで、その貿易商は地で最も尊ばれていたのに。万軍の主がそれを図り、すべての麗しい誇りを汚して、地で最も尊ばれている者をみな卑しめられた。」(8〜9節)
ツロとは、フェニキア(今のレバノン)にあった小さな海洋都市のことだそうである。
ダビデやソロモンの時代には、神殿や王宮の建築のための杉材を提供したり、預言者エリヤの時代には、ツロの北にあるシドンの王の娘が、イスラエルの王アハブに嫁ぎ、その際、バアル礼拝を持ち込んだりもしている。
ツロは、近隣諸国との貿易によって巨万の富を得、経済大国となった都市である。しかし、神にその栄光を帰すことはせず、繁栄によって得た富や名声を我がものとした。
富を得ることは決して悪いことではない。しかし、神を顧みないで不信仰にとどまり、罪を重ねるのであれば、神は清いお方であるから、罰せずにはおられない。高慢になるなら、神はそれをさばかれる。
聖書は、高慢について厳しく戒めている。
「悪しき者は高慢を顔に表し 神を求めません。「神はいない。」これが彼の思いのすべてです。」(詩篇10:4)
「高慢は破滅に先立ち、高ぶった霊は挫折に先立つ。」(箴言16:18)
「いったいだれが、あなたをほかの人よりもすぐれていると認めるのですか。あなたには、何か、人からもらわなかったものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。」(1コリント4:7)
高慢は、自らを礼拝する行為であるという。そして、神はそれを深く悲しまれる。
神は、この天地を創造されたお方であり、すべては、この神によって与えられている。感謝をもってその恵みに与る謙虚さを身に付け、神の品性に少しでも近づきたいと願う。
祈り:愛する天のお父さま。すべてにおいて、謙遜を身に付けることが出来ますように助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
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