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2022年5月18日 ディボーション

イザヤ書18章


「霊性の養い」


「ああ、羽コオロギの国よ。この国は、クシュの幾多の川のかなたにあり、」(1節)とあるが、この「羽コオロギの国、クシュ」とは、現在のエチオピアの辺りのことで、「羽コオロギ」とは、今でいうツェツェバエではないかと考えられている。


 当時、アッシリヤという大国が現れ、南ユダもクシュも、その威力に恐れ慄ている状況にあった。そこで、クシュは南ユダに一緒にアッシリヤに対抗しようと同盟を呼びかけたのだ。2節の「使者」とは、同盟を結ぶための使者のことを意味している。


 このような状況の中で、神は「わたしは静まり、わたしのところから眺める。」(4節)と語られる。

 危機的な状況の中で、国々は慌てふためいて様々な策を考える。しかし、主は静まり、眺めておられる。そして、時が満ちるとき、神は、ご自身の御心を成される(5,6節)。 

 この後クシュは、結局はエジプトと共にアッシリヤに滅ぼされてしまう(20章)。しかし、7節の預言がある。クシュにも神の祝福が注がれるというのだ。この預言は、使徒の働き8章26節~で、ピリポの伝道によってエチオピア人の宦官が救われた事につながっているのではないかと考えられている。


 ここで二つのことを学んだ。

 一つは、危機的な状況の中、慌てふためくような時、その時にこそ主が静まっているように静まり、主が眺めているように眺めることが大切だということだ。それは、主への信頼という事だと思う。

「やめよ(静まって)。知れ。わたしこそ神」(詩篇46:10)

 この霊性を普段の生活の中で養っていきたい。主の静まりと、主の視点を身に着けていきたいと心から願う。


 もう一つは、裁きの後に、必ず救いがあるということだ。神の義は、裁きでは終わらない。神の義とは、真の救いへと導くための義なのだ。

 やがてエチオピアにも福音が伝えられたように、私たちも様々な出来事を通して、十字架と復活の福音へと導かれていくのだ。ここに私たちの希望がある。


 天の父なる神さま

 危機的な、慌てふためく状況の中にあっても、主が静まっているように私も静まり、主が視ておられるように私も視ることが出来ますように。そのような霊性を養ってください。

 今日も、主よ、あなたにあって平安でありますように。

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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