イザヤ書 15章
イザヤ書15章は、16章とともにモアブに対するさばきを宣告している。モアブはバビロンと違い、イスラエルにとって身内的な存在であることが聖書の解説で述べられている。モアブは、死海の東側に位置する。モアブはへブル語でメーアーブ「父によって」を意味している。モアブ人の起源は、ロトの娘たちが父ロトによって産んだ子に由来する。(創世記19章)
その頃からすでに近親相姦という罪をおかしていたのである。
モアブはイスラエルと身内的な関係でありながらも、単なる血縁ではなく、霊的な意味でも隣人とみなされる民族であったけど、偶像礼拝にはしり、モアブ人の娘たちを使って異教の宗教儀式に誘惑した。そして、その民が、神に裁かれるのである。イザヤもきっと神のさばきを告げる時に辛かっただろうと思う。歴史の中には、モアブ人ルツがイスラエル人ボアズと結婚し、ダビデの先祖となった出来事もある。(ルツ記4:18~22)その子孫から救い主イエスが誕生するのである。神を裏切ったモアブの祖先からイエスが誕生することは、考えられないことだけど、それが神の摂理の中であったのだ。
神のさばきの時、モアブ人が泣きながら南部の町々へ逃げていく様子が述べられている。 でも、神様もまた、モアブ人と同じように泣いておられたのが5節で述べられている。
「わたしの心はモアブのために叫ぶ。」5節
神様は、悲しみながらモアブにさばきを下されたのである。そして、最後の最後までモアブ人の悔い改めを待っておられたのだ。神様は決してモアブ人を憎くてさばきをくだされたのではなくて、彼らが悔い改めて、従うことを求めておられたのである。神様は、そういうお方であるのだ。私達が苦しみ、悲しんでいる時、神様もまた、同じように苦しみ、悲しんでおられるということである。
現在のウクライナの民が愛する人を失い、他国への亡命を余儀なくされて日夜不安で悲しみの中にいる時に、神様も彼らと共に悲しんでおられるということである。戦争を知らないで育った自分ができることは、ウクライナの民の為に祈り続けていくことである。そして、又、ロシアのプーチン大統領が、神様に目の覆いを取っていただいて、悔い改めて、真の神に従っていくことができるように、祈ることである。
祈り:
愛する全知全能の父なる神様。
あなたの私達への思いがどのように大きなものであるかを改めて知ることができて心から感謝します。弱いこの私がいつも悔い改めて従っていくことができますように助けて下さい。感謝して主イエスキリストの御名によってお祈りします。アーメン
Comments