2022年5月10日 ディボーション

イザヤ書10章


「レムナント(残りの者)」


 キリスト教会には、聖餐式、洗礼式など非常に大切な儀式がありますが、実はキリスト教信仰は儀式では無いのです。


 神のことばを心から知り体験する歴史書である聖書、この御言葉の力を深く知れば知るほど聖霊の導きによって信仰が深まってゆきます。ですから預言書の力を知らずに聖書は解らない、イエス・キリストを知ることは出来ないのです。


 10章に入る前に、イザヤ書の時代背景として神に選ばれた民であるイスラエルの12部族の歴史をまず見てみましょう。


 もっとも繁栄したダビデ王国はソロモン王へと受け継がれ、そしてソロモン王の死後、王国は北イスラエル王国と南ユダ王国に分裂してしまいます。やがて北王国が先にアッシリアに滅ぼされ(紀元前722年)、その後生き残っていた南王国もバビロンによって滅ぼされ(紀元前586年)ました。


 それぞれが滅亡に向かう前後の歴史の期間、聖なる民であるユダヤ民族の危機の時に、イザヤも含めて多くの預言者が現れました。神の選民に滅亡の危機が訪れたからです。


 このような危機の迫る時に、例えば預言者アモスやホセアは北王国に遣わされました。その時は、実は北王国は繁栄していたのですが、主の教えから離れて贅沢な社会となっていたわけです。神から離れた北王国と周りの国々への社会の不義を預言者たちは告発し、悔い改めを求めながら、民に嫌われながらもこれから起こるべく神の審判を告知したのです。


 その様な時期に預言者イザヤは南王国の預言者となり、4代の王にわたって少なくとも紀元前789年頃から50~60年以上預言者として活躍したのです。


 この10章には、隣の北王国がアッシリアによって滅ぼされる事が描かれると共に、神の憤りの杖、怒りのむちとしてアッシリアが選ばれたにもかかわらず、北王国を滅ぼしたアッシリアも、彼ら自身の奢りによって滅びると預言され、そのように歴史は進みました。


 この時代も今の時代も、まず人が高くされ神が低くされる時代です。本来なら預言者が神のことばを語るなら大事にされるはずである。しかし現実には愛国者である預言者たち自身は、聞く耳を持たない民からの迫害の中で殉教してゆきました。「また、石で打たれ、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊ややぎの皮を着て歩き回り、困窮し、圧迫され、虐待されました。」(ヘブル書11章37節)


 預言者たちは皆苦しみました。迫害を受けたのは主イエスだけではなかったのです。このイザヤでさえ最期には、伝説によるとマナセ悪王に反対して迫害を受け、木の幹の空洞にいれられて、このヘブル書の箇所にあるようにノコギリでひかれたと言われています。

 

 このように預言者を迫害する民、神のことばに従わずに道を踏み外した民には裁きが待っているだけで何の希望も無いのでしょうか? いえ希望は残されています。


「ああ、アッシリア、わたしの怒りのむち。わたしの憤りの杖は彼らの手にある。わたしは、これを神を敬わない国に送り、わたしが激しく怒る民を襲えと、これに命じる。物を分捕らせ、獲物を奪わせ、道端の泥のように、これを踏みにじらせる。」 (イザヤ書10章5~6節)


 神の民は確かに厳しい裁きを受けます。そのような中で預言者はこれから起こる事を語り続けます、例えば、もうすでに8章で学んだようにイザヤは次男に「分捕り物はすばやく、獲物はさっと」と言う不思議な名前マヘル・シャラル・ハシュ・バズと名付けてこれから起ころうとしている患難として、アッシリア帝国がエルサレムを滅ぼす預言をしました。


 そうしてイザヤの預言通り、息子の名前の通りに北王国はアッシリアに滅ぼされ、その後アッシリア帝国も滅び、続いてイザヤの時代からさらに200年以上先に南王国を滅ぼした新バビロン帝国もペルシャのクロス王によってあっという間に滅ぼされました。


 そうして預言通りにエルサレム再建は、バビロン捕囚70年後にイザヤ書に名前が記されているクロス王によって実現してゆきました。 


 話はずれますが、これらの出来事がすべてあまりにも的確にイザヤ書に載っているので、実はイザヤ書はイザヤ一人が書いたのではなく、後世に別の著者が付け足したとされる説もあります事を覚えてください。それほどイザヤ書は明確にメシアである主イエスの誕生から十字架、さらに千年王国まで預言されているのです。


 さて希望はどこにあるのでしょう。神に叛いたユダヤの民は、神の怒りを受けました。アッシリアやバビロンが神の鞭として用いられ、北王国、南王国ともども滅ぼされる事になってゆくわけですが、希望があります。


 北王国のイスラエルの中にも、南王国ユダ(ヤコブの家)の中にも、神を心から敬う少数の者たち、レムナント(残りの者)が帰ってくるという預言があります。「その日になると、イスラエルの残りの者、ヤコブの家の逃れの者は、もう二度と自分を打つ者に頼らず、イスラエルの聖なる方、主に真実をもって頼る。残りの者、ヤコブの残りの者は、力ある神に立ち返る。」(20~21節)


 神に選ばれたユダヤ民族は実に優秀な民族ですが、ユダヤの歴史では常に神の杖で叩かれ続けています、アッシリア、バビロンに続いてローマだけでなく、近代ではナチスによる大量虐殺(ホロコースト)によって数百万人が殺戮を受けましたが、生き残った者たちの中には、神を信じる少数のレムナントがいるのです。ですから今でも国家としてイスラエルが在り、ヘブル語も復活しました。


 これから近い将来に来るであろう大患難時代において、黙示録7章にはイスラエルのあらゆる部族から14万4千人が選ばれる記述があります。このユダヤの残れる者たちが、すでにクリスチャンや教会は天に引き上げられてしまった後の患難時代において主イエスの伝道者として全世界で活躍する事になっているレムナントだと思うのです。


 聖書はまさに過去の歴史から現在の社会を描くだけでなく、未来の出来事も預言しています。預言者イザヤの目から見た、神のビジョンを聖書によって我々も見ることが出来ることに感謝します。

 

祈り

 我が故郷である日本を思いながら、パウロが律法主義となってしまったユダヤ人を憂う気持ちと重なります。しかし、ユダヤにも残れる者が残されているように日本にもレムナントが居るのです。日本の教会の中で心から主イエスを信じ生涯を捧げる方々がおられ、世の光となっている姿を見せて頂きました事に感謝致します。

 自分の家族のことを思うと、姉たちも従兄弟たちも未だ主イエスを信じるまでに至っておりません。続けて祈りながら家族だけでなく、多くの主を未だ知らない人たちに、主の御言葉を伝える機会が与えられますように心から祈ります。そして数少ない日本のレムナントをもお守りください。

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