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2022年4月9日 ディボーション

ルカの福音書 3章


『愛ゆえの厳しさ』


 マリアの懐妊やマリアの賛美の記述があるのはルカの福音書だけだ。1章と2章を心から感謝して味わいたい。ずっとここに居残りたい。

 2章の終わりには少年イエスが一人エルサレムの宮に留まっていた。イエスがいないことに気づいた両親は捜し回り、やっと宮の中にいるイエスを見つけ、どうしてこんなことをしているのかと叱った。しかしイエスは、「わたしが自分の父の家にいるのは当然です。」と答えた。イエスさまが、父なる神さまの家にいるのはのは当たり前のこと‥‥その意味を両親は理解できなかった。

 だけど「母はこれらのことをみな、心に留めておいた。」(2:51抜粋)と記されている。マリアが「力ある方が、私に大きなことをしてくださった」(1:49抜粋)と賛美した大いなるしるし。主を恐れ主をあがめながらも、慈愛に満ちた母の目でそれを見つめている。我が子イエスの言動のすべてを心に刻んでいる。いいなあ、やっぱりマリアはマリアさまと呼びたいです。

 ルカだけに記録されているもう一つのエピソードは、バプテスマのヨハネの誕生だ。イエスさまの道を整える者として出現する。過酷な自然環境の砂漠の荒野で育ち、ラクダの毛皮を着ていなごを食べる強面のヨハネ。3章でのヨハネの発言はどれもハードボイルドだ。

悔い改めにふさわしい実を結びなさい。『われわれの父はアブラハムだ』という考えを起こしてはいけません。』(8節抜粋)

 ルーツに頼る前に、神と己の関係を悔い改め、罪(sin)を赦してもらいなさいと促す。

「良い実を結ばない木はすべて切り倒されて、火に投げ込まれます。」(9節抜粋)

 ただ、こうも言う。

「神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子らを起こすことができるのです。」(8節抜粋)

 簡単にアブラハムの子と思うな、という諭しと、アブラハムの子を起こすことができる、という御業は逆説的な矛盾というか、ジレンマを感じそうになる。

 でも鎮まって霊的に思いをめぐらしてみると、神さまが切り倒して、火に投げ込むのはハマルテアのsinで、不信仰者の人ではないということではないだろうか。石ころみたいに転がっていても、神さまを見ていたら、目が合った瞬間、神さまは石ころを拾い上げて慈しんでくださるんだよ、という主の愛をヨハネは伝えているんじゃないだろうか。

 ヨハネは荒くれ男のようなルックスで、厳しい口調だけれど、愛を語っているのだ。

「神のことばが、荒野でザカリヤの子ヨハネに臨んだ。」(2節抜粋)

 荒野で一人ぼっちで、神さまだけを見上げていたヨハネ。そこに渇きの水、神さまの愛と召が降り注がれた。真の愛には厳しさがある。愛の厳しさは悔い改めをもたらしてくれる。

 ヨハネの真の姿は、自身が厳しく身を引き締めて、謙遜を貫き、イエスさまのしもべとしてイエスさまの道を整える労働者に徹すること。

 ヨハネのバプテスマは、「罪を悔い改め、神さまのみことばに従うまでの告白」で、イエスさまにつなぐまでの中継役。イエスさまのバプテスマは、「悔い改めた罪を十字架で清めて赦し、やがて聖別して御国に至る」、完結した救い。「そして神に至る。」と3章は終わる。ハレルヤ!! 


 神さま、ルカの福音を残してくださってありがとうございます。イエスさまをマリアさまに託してくださってありがとうございます。マリアのお腹にいるイエスさまと、エリサベツのお腹にいるヨハネを出会わせてくださってありがとうございます。

 悔い改めのバプテスマを宣べ伝えてくれたヨハネをお手本として、私たちもイエスさまの救いを紹介できる者となれますよう、活動を励まし助けてください。

 イエスさまのお名前で祈ります。アーメン


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