2022年4月27日 ディボーション

ルカによる福音書21章 


レプタ二枚


『テルマエ・ロマエ』と言うローマの温泉文化を紹介した漫画がある。その中で主人公のルシウスが現代の日本にタイムスリップして、大量のローマ銀貨(デナリウス)と日本の紙幣一枚と小銭を交換するシーンがある。どう考えても割の合わない両替だが、主人公は温泉街で買い物をしたくて日本人観光客と銀を交換する。形や素材は違っても通貨は私たちの生活に欠かせないものになっている。しかしそれが生活の中心になってはいけない。私たちは何に重きを置くべきかを2節の献金に関するシーンから学ぶことができる。


 1〜4節には金持ちとやもめが献金(神様への捧げ物)をする場面が描かれている。どう言う姿勢で捧げたのかが大切と主が示された。


『さてイエスは目を上げて、金持ちたちが、奉献箱に彼らのささげ物を投げ入れるのを見ておられた。また、一人の窮しているやもめが、レプタ二つを投げ入れるのを見られた。そこで彼は言われた、「まことに、私はあなた方に言う。この貧しいやもめは彼らのうちの誰よりも多く投げ入れたのだ。」彼らは皆、有り余っている中からささげ物を投げ入れたが、彼女は欠乏している中から、自分の持っている生活費の全部を投げ入れたからである。』(1〜4節 回復訳)


 口語訳聖書では、『金持ちは投げ入れた』そして『やもめは入れた。』と訳されいている。そして金持ちの献金額は書かれていないが、やもめの場合、『生活費の全部を投げ入れた』とある。彼女の信仰には脱帽するしかない。あなたはどっち? 金持ちのように感謝の心もなく、神様から受け取った贈り物を無碍に扱っていないか? 神様の物をお返しするのに出し惜しみしていないか? やもめのようにしているか? と問われた気がした。実際、ある航空会社から、『持っているマイレージをウクライナの為にドネーションしませんか』とオファーがきた。最低限しかドネーションしていなかった事を後悔して、できる限り全てを捧げることにした。なぜなら、全ての恵みは創造主の主のものだと信仰によって信じる事ができるから。そのように聖霊様が私の心を変えて下さった。

 主は人々をお造りになった時から養ってくださるお方。出エジプト記では毎日マナ(パン)を降らせ、うずらも用意してくださった。(出エジプト16)他にも水も準備してくださる神(出エジプト15:22)。水は水道から、食べ物はスーパーから買うと言う生活をしている私には主が養ってくださると言う事が現実的に繋がらなかった。しかし今は分かる。32年前に全て失った時に主は養ってくださった。住まいを与え、食べ物、飲み物を与えてくれる姉妹を与えてくださった。だから今も生きている。主によって生かされていると確信することができる。初心に帰るチャンスを与えてくださる主に感謝したい。


【祈り】

『十字架を見上げて 御前に行きます 手放し 明け渡して あなたのために生きる』(レプタ二枚の歌詞より)

 天の父なる神様。今日もあなたの御手の中で生かされている幸いを気づかせて下さりありがとうございます。あなたから頂いた贈り物はあなたのものです。その恵みをどのように使うべきか、どうぞ語りかけてください。困っている人には、あなたが遣わして下さった姉妹のように恵みを分かち合いたいです。どうぞこれからも僕をお導きください。イエス・キリストのお名前と共に感謝して御前におささげいたします。アーメン。

 

【賛美】レプタ二枚 作詞・作曲 佐々木潤、山本陽一郎、中山有太。

【参考】

・デナリウスの価値。当時の地方軍人の日給1〜3デナリウス。1デナリ=128レプタ

・レプタ。ギリシアで使われた通貨単位。2レプタは1コドラント。1コドラントはローマ帝国通貨で銭湯の1回の入浴料に相当する。今の時代の代金に置き換えてみると、15年前に月島温泉では日本円で五百円だったから、2レプタは千円くらい、もしくは$10に相当するのであろう。温泉銭湯があちこちにある日本が羨ましい。


閲覧数:50回

最新記事

すべて表示

ルカの福音書 24章 『インマヌエル@エマオの道』 ”エマオの道”の、珠玉のエピソードはルカにしかない。私たちキリスト者にとって、エマオの道は、うっとり垂涎の、憧れの旅路である。だってイエスさまが同伴してくださるんだから! 前章でイエスさまは二人の犯罪者とともに十字架にかかられた。犯罪者の一人はイエスさまをののしったけれど、一人はイエスさまを神とあがめ無罪を主張した。その時、イエスさまの言ったみこ

ルカの福音書 23章 群衆がしつこく大声をあげ続けた結果、彼らの主張が通り、イエス様が十字架につけられた。何が何でも力づくで要求を押し通そうとする人間の内に渦巻く闇の力は、とてつもなく強い。何ひとつ罪を犯さなかった者を殺すことさえできるのだから。 群衆の扇動によって十字架につけられたイエス様は、こう言われた。 「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」(

ルカの福音書 22章 「みこころがなりますように」 コロナ禍以前、ある兄弟が教えてくれた。「何でも天のお父さんにお願いして祈ったらいいよ、それがみこころならば、必ず叶えて下さるから。」そうか祈ってお願いしたらいいのか、と思い勝手なお願いばかりの祈りが続いた。そのうち私の人生の中で機転となる一つの願いが叶い、そうかこれが御心だから叶えてくださったのかと気づく。全ては神のご意志ならば成る、ということで