top of page
hccnichigo

2022年4月25日 ディボーション

ルカの福音書19章


『わたしは今日、あなたの家に泊まることにしているから』

 

 イエスは、エリコという町に入られた。この町は、交通の要所であったという。そこに取税人のかしらであるザアカイがいた。彼の仕事は、その町を行き交う行商人たちから通行税を徴収し、ローマにそれを収めることであった。マタイも同じ取税人であったが、彼は「かしら」ではなかった。

 いずれにせよ、これら通行税を徴収する取税人は、普通の取税人よりも悪質で、裕福ではあったが、同胞からは売国奴と呼ばれていたという。

 

 ザアカイは、同胞から嫌われ、罪人として扱われている人であった。裕福であっても、友達や仲間がいないというのは、どれだけ淋しいものかと思う。そんな時に、噂のイエスという方が町を通られると知った。しかし彼は、背が低かったから、群衆に囲まれたイエスを後方から見ることはできなかった。

 そこで、先の方に走って行って、いちじく桑の木に登って、そこからイエスを見ようとした。彼は必死になって走って、木に登った。

 

 すると、イエスは木の上にいる彼を見上げて、「ザアカイ、急いでおりて来なさい。わたしは今日、あなたの家に泊まることにしているから。」と言われた。ザアカイは驚いたことだろう。彼にとっては初めて会うお方である。しかし、そのお方は自分を知っておられ、名前で呼んでくださった。長い間、売国奴、罪人と呼ばれて来た者にとって、名前で呼ばれたことは大変な喜びであっただろう。

 

 ザアカイは、その喜びから、財産の半分を貧しい人に施すこと、そして脅し取ったものがあるなら、4倍にして返すと言った。これはモーセの律法が要求している以上の償いをすることで、自らの悔い改めを表現しているという。


 イエスの愛を知ると、それまで価値あると思っていたものが、塵芥のように思えることが、ザアカイの行動からも知ることができる。

 

 神は私たちを知っていてくださる神である。また一人一人を名前で呼んでくださる神である。ザアカイの心の嘆きをご存知であったように、私たち一人一人の嘆きや悲しみも知っていてくださり、誰一人として、神に忘れ去られることはないのである。

 

 イエスは、今日も救いを求めている人々の名を呼び、「わたしは今日、あなたの家に泊まることにしているから。」と語られている。その声を伝えるために、用いていただこう。

 

祈り: 主よ。御心を行う者へと私を造り変えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

閲覧数:35回0件のコメント

最新記事

すべて表示

2024年5月15日 ルカの福音書24章

特に13節から35節の「エマオへの途上」が心にとまります。 エマオという、おそらく二人の弟子の実家である村に向かっているのです。エルサレムに背を向けて、夕方の日没に向かって、暗い顔をして歩く二人の心は、イエスを失った失望、混乱、虚しさで一杯だったでしょう。...

2024年5月14日 ルカの福音書23章

『あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます』 主イエスと一緒に十字架につけられた二人の犯罪人、一人はイエスを罵り、「おまえはキリストではないか。自分と俺たちを救え」と言った。救い主である事を証明してみせろと言うのである。今の世に住む、自分の姉も、聖書は素晴らしい文学書...

2024年5月13日 ルカの福音書22章

『わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい』 過ぎ越しの祭りが近づき、イエスはペテロとヨハネに過ぎ越しの食事のための場所を用意するよう言われました。弟子たちがどこに用意しましょうかと尋ね...

Comments


bottom of page