ルカの福音書19章
『わたしは今日、あなたの家に泊まることにしているから』
イエスは、エリコという町に入られた。この町は、交通の要所であったという。そこに取税人のかしらであるザアカイがいた。彼の仕事は、その町を行き交う行商人たちから通行税を徴収し、ローマにそれを収めることであった。マタイも同じ取税人であったが、彼は「かしら」ではなかった。
いずれにせよ、これら通行税を徴収する取税人は、普通の取税人よりも悪質で、裕福ではあったが、同胞からは売国奴と呼ばれていたという。
ザアカイは、同胞から嫌われ、罪人として扱われている人であった。裕福であっても、友達や仲間がいないというのは、どれだけ淋しいものかと思う。そんな時に、噂のイエスという方が町を通られると知った。しかし彼は、背が低かったから、群衆に囲まれたイエスを後方から見ることはできなかった。
そこで、先の方に走って行って、いちじく桑の木に登って、そこからイエスを見ようとした。彼は必死になって走って、木に登った。
すると、イエスは木の上にいる彼を見上げて、「ザアカイ、急いでおりて来なさい。わたしは今日、あなたの家に泊まることにしているから。」と言われた。ザアカイは驚いたことだろう。彼にとっては初めて会うお方である。しかし、そのお方は自分を知っておられ、名前で呼んでくださった。長い間、売国奴、罪人と呼ばれて来た者にとって、名前で呼ばれたことは大変な喜びであっただろう。
ザアカイは、その喜びから、財産の半分を貧しい人に施すこと、そして脅し取ったものがあるなら、4倍にして返すと言った。これはモーセの律法が要求している以上の償いをすることで、自らの悔い改めを表現しているという。
イエスの愛を知ると、それまで価値あると思っていたものが、塵芥のように思えることが、ザアカイの行動からも知ることができる。
神は私たちを知っていてくださる神である。また一人一人を名前で呼んでくださる神である。ザアカイの心の嘆きをご存知であったように、私たち一人一人の嘆きや悲しみも知っていてくださり、誰一人として、神に忘れ去られることはないのである。
イエスは、今日も救いを求めている人々の名を呼び、「わたしは今日、あなたの家に泊まることにしているから。」と語られている。その声を伝えるために、用いていただこう。
祈り: 主よ。御心を行う者へと私を造り変えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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