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2022年4月23日 ディボーション

ルカの福音書 17章


『イエスさまの悲しみ』


「するとイエスは言われた。「十人きよめられたのではなかったか。九人はどこにいるのか。この他国人のほかに、神をあがめるために戻って来た者はいなかったのか。」」(17、18節)

 聖書に書かれていない経緯を黙想してみる。

 イエスさまはエルサレムに向かう途中、近道をやめ、わざわざ国境の街に寄った。すると遠くからツァラアトを病んでいる十人が声を張り上げた。ツァラアトに罹ると、厳しい行動制限が課せられる。だからイエスさまの方から、彼らの声が届くところにあえて行ったのだ、と。

 すべては神さまから始まっている。準備は整っている。神さまが用意してくれているから、私は主を求めることができる。

 この恵みのリズムの順番の大切さを改めて想う。

「声を張り上げて、「イエスさま、先生、私たちをあわれんでください。」」(13節)と、叫び祈ることができる。

 14節も深い。イエスさまは十人を見て言われた。「「行って、自分のからだを祭司に見せなさい。」すると彼らは行く途中で清められた。」

 癒しの御業をはたらかせてすぐに治したのではない。祭司のところに行くという、イエスさまの教えに従ったから癒されたのだ。従いのはじめはツァラアトはまだ治っていない。でも疑わず、イエスさまを信じて待つことができた。だから清められた。

 私も信じる。でも従順に従い、待つことができているだろうか。

 十人のうちの一人は、自分が癒やされたことが分かると、大声で神をほめたたえながら引き返してきて、イエスさまの足もとにひれ伏して感謝した。続くのが冒頭のみことばだ。

「十人きよめられたのではなかったか。九人はどこにいるのか。この他国人のほかに、神をあがめるために戻って来た者はいなかったのか。」

 こんなに寂しい、悲しいことばをイエスさまに言わせてしまったのはどこのどいつだ?

 私なのである。

 恵みを受けて、アーメン感謝しますと1/10くらいは主に栄光をかえしても、9/10は自分の恵みというか、自分の栄光にしてしまっている。ラッキー、さすが私、なんてつけ上がってる。神さまは私にラッキーやハッピーを与えてくださるけれど、それは私がイエスさまの愛を伝える行いをするため。なのにパウロの忠告「神の恵みを無駄に受けないようにしてください。」(Ⅱコリント6:1)、無駄をやらかしてしまっている。

 受難節の一ヶ月間賛美してきた「傷跡」を口づさむ。イエスさまは生涯、裏切られ、ののしられ、ひとりぼっちで悲しい思いをされた。それでも私たちを泥沼から救うために十字架にかかってくださった。

 神さま、復活祭を祝い礼拝しましたが、またレントの中に留まらせてください。イエスさまの悲しみを想います。愛ゆえの、愛だけゆえの悲しみを想います。鎮まって悔い改めができますよう、イエスさまの御名で祈ります。アーメン

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