ルカの福音書 16章
この章でイエスは、3つのお話を語っておられる。
まず最初は、不正を働く管理人について。
お金持ちの主人に仕えながら主人の財産を無駄遣いし、そのことが主人の耳に入り解雇されそうになっている管理人。
彼は、主人に対して借りのある人々を呼んだ。そして、債務の証文に書いている数字を実際よりも少なく書くよう言った。管理人は、自分が職を失った時に助けてくれる友を、今のうちに確保しようという保身の目的で、人々に恩を売ったのだ。
「主人は、不正な管理人が賢く行動したのをほめた。」(8節抜粋)
聖書の手引き書では、「主人」を「主イエスキリスト」と置き換えて読んでみると理解が深まる、と解説している。
神は、管理人の不正をほめたのではない。せっぱつまった状況に追い込まれた管理人が、自分の助け手になってくれる友をつくろうとした事をほめた。
2つ目のお話は、律法と神の国について。
夫は、気に入らないことがあれば妻に離縁状を渡してもよい(申命記24章1節)と律法で定められている。その律法を盾に、自分にとって都合よく解釈して身勝手な行動をし、神の戒めを蔑ろにする者を、神は忌み嫌うのだとイエスは言う。
心の中では、妻以外の女性に姦淫の罪を犯しながらも、妻の側に原因があるから離縁してもよいのだ、と自分を正当化する偽善を、神は見逃さない。
「あなたがたは、人々の前で自分を正しいとするが、神はあなたがたの心をご存じです。人々の間で尊ばれるものは、神の前では忌み嫌われるものなのです。」(15節抜粋)
最後は、金持ちとラザロのお話。
高価な衣を着て毎日ぜいたくに遊び暮らしていた金持ちも、食に飢えて犬同然の暮らしぶりの上できものだらけのラザロも、等しく地上での死を迎えた。
生きている間に悪いものを受けたラザロは、天の国で、父アブラハムの懐で慰められている。
生きている間に良いものを受けた金持ちは、死後の世界で、苦しみもだえている。
この金持ちはアブラハムに叫ぶ。地上にいる5人の兄弟たちがこんな苦しい場所に来ないで済むよう警告したい。死んだ者たちの中から、だれかが兄弟たちのところに行って伝えれば、彼らは悔い改めるだろうから、ラザロを家族に送ってほしい、と。
アブラハムは、金持ちに言う。31節「モーセと預言者たちに耳を傾けないのなら、たとえ、だれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。」
以上3つのお話を通してイエスは、何を伝えようとしているのだろう。
私たちが地上生活を終えたときに、永遠の住まいに迎え入れてくれる本当の友をつくりなさい、というメッセージではないだろうか。
地上にいる間に、神を友とし、神に忠実でありなさい、と。
「どんなしもべも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは、神と富とに仕えることはできません。」(13節)
私たちの心を知っておられる神は、この世で小さなことに忠実だった人や、うそ偽りのない心で神に従った人を、永遠の住まいに迎え入れてくださる。
この世の命を終えるまでに罪を悔い改めなかった人は、炎の中で苦しみもだえることになる。
しかも残念なことに、死んで葬られた後に苦しみを受ける陰府の世界と、神のおられる永遠の住まいとの間を、行き来することはできないので(26節)、悔い改めのチャンスは、この世にいる間だけ。
天に行ってまで苦しむのは嫌だ。苦しみは地上にいる間だけで十分ですよね。
「自分のために、天に宝を蓄えなさい。そこでは虫やさびで傷物になることはなく、盗人が壁に穴を開けて盗むこともありません。あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もあるのです。」(マタイ6章20〜21節)
愛する天のお父様。自分が死を迎えた後のことに基軸を置き、いつもそれを見ながら、日々の小さなことに忠実に生きることの大切さを学びました。私たちにとって最強で最愛の友でいてくださるあなたの存在に感謝します。主イエスキリストの御名によってお祈りします。アーメン
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