2022年4月2日 ディボーション

雅歌 4章


『愛は多くの罪をおおう』


 旧約の時代のユダヤ人の美意識はかなりサイケデリックだ。鳩のような目、やぎの群れのような髪、頬っぺはざくろの片割れのよう。って褒め言葉、あばたもえくぼ超えの比喩だ。愛は多くの罪をおおうというからね。

 いやいや、みことばで茶化しちゃいけない。ご破算で願いましては、最初からディボーションをし直します。

「わが愛する者よ。あなたのすべては美しく、あなたには何の汚れもない。」7節

 この花婿から花嫁への愛の賛歌は、神さまが私たちを思ってくださる愛、アガペーだ。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4)

 御子イエスさまを十字架にかけてくださるほどの神さまの愛。

 今日のレントの黙想箇所は、ピリピ2:11

「すべての舌が「イエス・キリストは主です」と告白して、父なる神に栄光を帰すためです。」

 すべての人が、十字架の福音を信じ、本来の神に創られた自分を取り戻すこと‥‥。神さまの愛に応答するには、まず私の罪の汚れを神さまに差し出すこと。誠実に罪のあがないを祈ろうとしても、まことの誠実にはほど遠く、ちっとも足りていないけれど、イエスさまのあがないと憐れみだけが、本来の自分を取り戻す回復と救いの道であることだけは知っている。信じている。ダビデのようにありたいと願っている。

「幸いなことよ その背きを赦され 罪をおおわれた人は。」詩32:1

「私は自分の罪をあなたに知らせ 自分の咎を隠しませんでした。私は言いました。「私の背きを主に告白しよう」と。すると あなたは私の罪のとがめを赦してくださいました。」詩32:5

 ペテロも励ましてくれる。

「何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。」ペテロ一4:8

 自我である防衛の壁が邪魔をして、熱心に愛し合うことができない時もある。戦争反対と平和を叫びながら、友との小さなわだかまりの壁を取り去れない自分がいる。それでもイエスさまの十字架の愛は、私の中の壁を温かく溶かし続けてくれる。そう信じたいと強く願う。

 神さま、私はあなたにより頼むことしかできません。イエスさまこそが主であると信じられることを感謝します。どうかもっと互いに愛し合うことができますよう、私の欠けを補ってください。イエスさまのお名前で祈ります。アーメン


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