2022年4月18日 ディボーション

ルカの福音書12章


『神の国を求めよ』


 以前私は、新共同訳聖書を使用していた。今も、新改訳聖書では分かりづらい時、新共同訳聖書と訳文を比較したりしている。今回のルカの福音書12章を黙想するにあたり、新共同訳聖書と読み比べをしていると、「思い悩むな」というタイトルを鉛筆で囲み、アンダーラインを引いた聖句に目が止まった。


「信仰の薄い者たちよ。あなたがたも何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならない。また、思い悩むな。それはみな、世の異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要なことをご存じである。ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。」(新共同訳聖書12:29-32)

 

 当時私はこの聖句から、神は私の必要をご存知なのだ、だから思い悩むことはないと言い聞かせていたことを思い出した。しかし、その思いは日々、揺れ動いていた。明日を心配しなければいいのに、明日を心配させるような出来事によって、また思い悩み、更に苦しんだ。

 

 もし、明日という未来を見ることができるなら、思い悩むことなどないのだろう。しかし、私たちに未来を見ることは許されていない。私たちは神の似姿に造られた者であって、神と同等ではない。神の主権によって可能であることを、被造物である私たちが試みようとするなら、それは神の御前にあって、罪である。

 

 イエスは私に向かって「信仰の薄い者よ」と呼びかけていた。「思い悩むな」という前に「信仰の薄い者よ」と。当時の私は、そこに気づいていなかった。

 

 神への信仰が深まれば深まるほど、心は神によって統治され、そこは神の国となる。みことばの導きに従い、神が与える平安の中で憩いたいと願う。

 

「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」(新共同訳聖書マタイ6:33-34)

 

 

祈り: 愛する天のお父様。御名を賛美します。私の心に神の国の支配を求めます。すべてをあなたにお委ねします。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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