箴言21章
『水の流れのように』
21章もソロモンの格言集は続く。箴言は「主への恐れ」が全体のテーマではあるが、各格言を読みながら、この章を総括しているのは、12章1節ではないか、と感じた。
「王の心は、主の手の中にあって水の流れのよう。主はみこころのままに、その向きを変えられる。」(1)
ソロモンのように素晴らしい知恵を持った王であっても、その心はすべて主に委ねておられた。当時、ソロモンの神殿の周りには、いくつかの水路が巡っていたという。その水路に流れる水を見ながら、自分の心も、主の手の中にあり、この水のように、みこころによって、その向きを変えられる者である、と感じていたのかもしれない。
向きを変えるというのは、それまでの習慣を捨てることである。それまで大切にしていたものを手放す時でもある。長年の習慣を変えるというのは容易いことではない。たとえ、それが苦しみや悩みの原因であるとわかっていても、それを捨てる、というのは難しいものである。
私自身、今まで「良い」と信じて建て上げて来たものを捨てるには相当な覚悟が強いられた。それでも、覚悟をもって捨ててみると、実はその「良い」と思っていたことが、実は苦しみの原因であったことがわかったのである。
このことから、神が与える解放には、まず自らの痛み、という捧げものが求められるのだと知るようになった。神が、私にとって良い、と思われることを実行するには、まず私自身を捧げる必要があるのである。私の場合、それは往往にして、痛みが伴うものであった。しかし、その後に体験する神による解放は、何にも変えがたい祝福なのである。
水の流れのように柔軟な心を身につけることは、イエスの似姿に変えられていくステップでもあると思う。そのためにも、柔軟な心が与えられるよう、聖霊に助けを求めていきたい。そして、イエスのように、神が造られた尊いお一人、お一人を愛して接していくことができるよう、祈りたい。
祈り:愛する天のお父様。あなたに従って生きる者となりたいと願います。柔軟な心を与えてください。あなたの目が見る私へと、変えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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