雅歌2章
2章では、日焼けして美しい女性を、ソロモンがシャロンの花と讃えている。ソロモンの妻となるその女性もソロモンのことを褒め讃えている。婚約時代の男女の美しい存在関係を綴っている。
私は中学生になっても、ものすごいおてんばだった。ある時、テストの結果を4〜5人の男女で話していると、学年成績トップの男子が女の子達を物事に喩えて話した。私のことは「おまえは、花だ」と言った。嬉しいよりも先にとても驚いた。このおてんばのどこを見て花だと言ってくれたのか不思議でならなかった。
日本でも美しい女性の喩えがある、「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」これを初めて聞いた時、「え、そんな完璧美女、テレビのアクトレスぐらいじゃないの」と思った。
2章もこの女性をシャロンの花と喩えている。この女性はシュラムの女と呼ばれソロモンが男性名詞であれば、シュラムはソロモンの女性名詞であると中川健一先生が説明してくれた。つまり、ミスター&ミセスという意味だそうだ。1章でソロモンはシュラムの女を褒めちぎり、2章ではシュラムの女がソロモンを褒め、周りの人々に7節「エルサレムの娘たち。私は、かもしかや野の雌鹿にかけてお願いします。揺り起こしたり、かき立てたりしないでください。愛がそうしたいと思うときまでは。」
この婚約時代にあれこれ言わずそっとしておいてほしいと訴えている。
15節「私たちのために、あなたがたは狐を捕らえてください。ぶどう畑を荒らす小狐を。私たちのぶどう畑は花盛りですから。」自分達の愛の信頼を壊す者がいるのでそれを取り除いて下さいと訴える。
夫婦間であれ、友人関係であれ、お互いの信頼が壊れたことがある方はおられるだろうか? むしろこの経験をされなかった方の方が稀なのではないだろうか? そのためにコミュニケーションはとても大切である。神様に祈り自分の言葉で告白することの大切さを私は教会の兄弟姉妹から学んだ。いつもそれができているわけではないけれど。だからこそ雅歌から、夫婦であってもお互いの良い所を認め合い、相手にそれを自分の言葉で伝える大切さを体得したい。
日本ではその場の空気をよみ、目配せで合図したり、「言わなくても分かるでしょ」といったいった雰囲気になる時が多くあったと思う。米国に来てそれでは通じず、最初は戸惑った。特に会社の会議などではハッキリと自分の意見を言うことが求められた。言わないと、出された議題が、たとえ自分に不利であっても賛成したとみなされてしまう。
周りの意見や考えと違うことを言うのには勇気がいることだ。学年トップの成績だったから言えたのかもしれないが、私のようなおてんばを「花だ」と言ってくれた中学男子に感謝したい。それからというもの、少しずつだけど女の子らしくなったのだから。
祈り: 愛する天のお父様、今日という日もありがとうございます。私たちがあなたへの祈りを通して、自分の思ったこと感じたことを自分の言葉で的確に人に伝えられるように日々私たちを磨き導いて下さい。あなたの御心に沿って生きられますように。全ての祈りを尊いイエス様の御前にお捧げいたします。アーメン
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