伝道者の書 11章
『イエスによる施しに倣う』
11章の解釈について学んだところ、この章は「施し」について書いているという。1節にある「あなたのパンを水の上に投げよ。」とは、惜しまず、また見返りを期待しないで、施しをせよ、という教えだという。
施しを与えた相手が誰なのか、またそれによってどのような結果を招いているのかは、分からない。もしかしたら何の役にも立っていないかもしれない。しかし、神はその行為をご存知だというのである。
これは、モーセの律法に従った考えであろう。新約の時代に生きる私たちにこの律法を守る義務はない。しかし、イエスは「神のものは神に返しなさい。」(マルコ12:17)と言われている。
私たちが与えられているもので、神からのものでないものは何ひとつない。神は、無条件に、すべての人に、施しを与えておられる。ならば、神の子とされた者が、無条件に、すべての人に施しをすることは、神のみこころにかなっているのではないだろうか。
以前私が、カハラ近くのビーチパークでウエディングセレモニーに参加していた時、一人の若い、たぶん精神的に病んでいると思われるホームレスの男性が、バスに乗りたいから2ドルくれと言って歩き回っていた。見た感じ少し強面で、尋ね方も物騒で、その公園にいた人たちは皆、彼を敬遠していた。その彼が、ついに私たちの近くに来た。そこには私の子ども達も一緒にいたから、私はまず子ども達の安全を考えていた。そして私は、ただ財布を取り出して、彼が必要とする2ドルを渡していた。
あの時、私と一緒にいた大人達は皆、ある種の恐怖感を抱いていたと思う。しかし、私はなぜかその時、何の恐怖も彼から感じなかった。それより、2ドルを受け取った時の彼の目が今も忘れられないでいる。嬉しくて泣きそうな目だったのである。
あの時、2ドルを渡したのは私だが、そうされたのは、私の中におられるイエスであったことに後で気づいた。イエスのあわれみが彼に届いたのである。だから、私はあの目に出会うことができた。イエスはホームレスの彼と私に、イエスの愛による恵みを与えてくださったのである。
「あなたのパンを水の上に投げよ。」と伝道者は語る。しかし、それをなさるのはイエスである。イエスが私にくださるパンを水の上に投げていこうと思う。
祈り:愛する天のお父様。私の施しが、私自身の動機ではなく、イエスのみこころによる施しとなりますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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